あるか、また彼女《かれ》をたずねて来た者があるかと詮議すると、お定は毎月一度ずつ千住の方へ寺参りにゆくほかには滅多に何処へも出かけたことはないらしい、訪ねて来る人も殆ど無い。たった一度、今から一と月ほど前にお店者《たなもの》らしい四十格好の男がたずねて来て、お定を門口《かどぐち》へ呼び出して何かしばらく立ち話をした上で、ふたりが一緒に連れ立って出て行ったことがあると、婆さんは正直に話した。半七はその男の人相や風俗をくわしく訊いて別れた。
 宿《しゅく》の入口の小料理屋へはいって、半七は夕飯を食った。それから源助町の方角へ足を向けるころには、雨ももう歇《や》んでいた。尻を端折《はしょ》って番傘をさげて、半七は暗い往来をたどってゆくと、神明前の大通りで足駄の鼻緒をふみ切った。舌打ちをしながら見まわすと、五、六軒さきに大岩《おおいわ》という駕籠屋の行燈《あんどう》がぼんやりと点《とも》っていた。ふだんから顔馴染であるので、かれは片足を曳き摺りながらはいった。
「やあ。親分。いい塩梅《あんばい》にあがりそうですね」と、店口で草履の緒を結んでいる若い男が挨拶した。「どうしなすった。鼻緒が切れまし
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