はなんにも巻き付いていなかったが、おそらく手拭か細紐のたぐいで絞めたものであろうと認められた。本部屋にいた吉助は勿論、名代《みょうだい》部屋にいたお駒の客ふたりは高輪の番屋へ連れてゆかれた。
二
「半七。一つ骨を折ってくれ。伊勢屋のお駒にはおれも縁がある。不憫《ふびん》なものだ。早くかたきを取ってやりてえ。何分たのむ」
半七は、八丁堀同心室積藤四郎の屋敷へ呼び付けられて、膝組みで頼まれた。藤四郎はおとどしの一件があるので、お駒の変死については人一倍に気を痛めているらしい。それを察して半七も快く受け合った。
「かしこまりました。精いっぱい働いてみましょう」
半七はすぐに引っ返して品川の伊勢屋へ行った。かれは若い者の与七を店口へよび出して訊いた。
「どうも飛んだ事が出来たね。名物のお駒を玉無しにしてしまったというじゃあねえか」
「まったく驚きました」と、与七も凋《しお》れ返っていた。「御内証でもひどく力を落としまして、まあ死んだものは仕方がないが、せめて一日も早くそのかたきを取ってやりたいと云って居ります」
「そりゃあ誰でもそう思っているんだ。取り分けて上《かみ》から御褒美まで頂戴している女だから、草を分けても其の下手人を捜し出さにゃあならねえ。ところで、素人染《しろとじ》みたことを云うようだが、そっちにはなんにも心当りはないかえ」
「それで困っているんです。なんと云っても下総屋の番頭さんに目串《めぐし》をさされるんですが、あんな堅い人がよもやと思うんです。気でもちがえば格別、別にお駒さんを殺すようなわけもない筈ですから」
「そりゃあ傍《はた》からは判らねえ。一体その番頭というのはどんな奴だえ」
与七の説明によると、下総屋の番頭吉助はもう四十近い男で、酒は相当に飲むが至極おとなしい質《たち》の上に、金遣いも悪くないので、お駒も大事に勤めている馴染客であった。三月になってゆうべ初めて来たので、お駒と別に喧嘩をしたらしい様子もなく、いつもの通りおとなしく寝床にはいったのである。一緒に寝ている女の死んだのを知らないというのは、いかにもうしろ暗いようにも思われるが、酔い倒れていたとあれば無理はない。おそらく二人が正体もなく寝入っているところへ、何者かが忍び込んでそっとお駒を絞め殺したのではあるまいかと与七はささやいた。商売柄だけに彼の鑑定もまんざら素人《しろうと》でないことを半七も認めた。
「そこで、ここの家《うち》でお駒と一番仲のいいのは誰だえ」
「お駒さんは誰とも美しく附き合っていたようですが、一番仲好くしていたのはお定《さだ》という下新造《したしん》のようでした。お定はちょうど去年の今頃からここへ来た女で、お駒さんとは姉妹《きょうだい》のように仲好くしていたということです。それですからお定は今朝から飯も食わずにぼんやりしていますよ」
「じゃあ、そのお定をちょいと呼んでくれ」
眼を泣き腫《は》らしたお定が店口へおずおずと出て来た。お定は二十五六で、色のあさ黒い、細おもての力《りき》んだ顔で、髪の毛のすこし薄いのを瑕《きず》にして、どこへ出しても先ず十人なみ以上には踏めそうな中年増《ちゅうどしま》であった。半七からお駒の悔みを云われて、かれは涙をほろほろとこぼしながら挨拶していた。
「お前はお駒と大変仲好しだったというが、今度の一件について何か思い当ることはねえかね」
「親分さん。それがなんにもないんです。わたくしはまるで夢のようで……」と、お定はしゃくりあげて泣き出した。
「そりゃあ困ったな。お駒の枕もとに何か張子の虎のようなものが置いてあったというが、そりゃあほんとうかえ」
お定は黙って泣いていると、与七はそばから代って答えた。
「ありました。小さい玩具《おもちゃ》のようなもので、それは御内証にあずかってあります。お目にかけましょうか」
「むむ、見せて貰おう」
半七はあがり口に腰をおろすと、与七は一旦奥へ行ったが又すぐに出て来て、ともかくもこちらへ通ってくれと招じ入れた。奥へ通ると、主人夫婦は陰《くも》った顔をそろえて半七を迎えて、かの張子の虎というのを出してみせた。虎は亀戸《かめいど》みやげの浮人形のたぐいで、背中に糸の穴が残っていた。半七はその小さい虎を手のひらに乗せて、その無心にゆらぐ首をしばらくじっと眺めていたが、やがてそれを膝の前にそっと置いて、煙草を一服しずかに吸った。
「この虎はお駒の物じゃあないんですね」
「お駒の部屋にそんな物はなかったようです」と、主人は答えた。「お駒に限らず、この二階じゅうで誰もそんなものを持っていた者はないと申します。どこから誰が持って来たのか、一向にわかりません」
「ふうむ」と、半七も首をかしげた。「だが、これは大切な品だ。これがどんな手がかりにならねえとも限りませ
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