るが、或いは向うではこっちの顔を見知っていて、なにか話し掛けようとしながらも、つい気怯《きおく》れがしてそのままに云いそびれてしまったのではあるまいか。もしそうならば暴《あら》い詞《ことば》をかけるのではなかったと、半七は少し気の毒になって元来た方をふり返ると、男の姿はもう見えなかった。

     二

 それから二日目の七ツ下がり(午後四時過ぎ)に、善八と幸次郎が半七の長火鉢のまえに鼻をそろえた。二人はほかの子分たちとも申し合わせて、江戸じゅうの問屋を片っ端から調べてあるいたが、その怪しい婆さんは毎日おなじ家へ仕入れに来ないらしい。最初のうちは本所《ほんじょう》四ツ目の大坂屋という店へ半月以上もつづけて来たが、その後ばったり[#「ばったり」に傍点]と来なくなった。近頃ではやはり四ツ目の水戸屋という店へ三日ほどつづいて来たが、水戸屋ではかれの噂を知っているので、若い者のひとりが見えがくれにそのあとを尾《つ》けると、かれは浅草の方角に向って遅々《のろのろ》とたどって行った。しかしどこまで行っても際限がないので、こっちもしまいに根負《こんま》けがして、途中から空しく引っ返して来た。こうい
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