に神田の家を出て、百本|杭《ぐい》から吾妻《あずま》橋の方角へ、大川端をぶらぶらと歩いてゆくと、向島の桜はまだ青葉にはなり切らないので、遅い花見らしい男や女の群れがときどきに通った。その賑やかな群れのあいだを苦労ありそうにしょんぼり[#「しょんぼり」に傍点]とうつむき勝ちに歩いている一人の若い男が、その蒼ざめた顔をあげて半七の姿をふと見付けると、なんだか臆病らしい眼をしながら彼のあとをそっと尾《つ》けて来るらしかった。
最初は素知らぬ顔をしていたが、こっちの横顔をぬすむように窺いながら三、四間ほども付いて来るので、半七も勃然《むっ》として立ち停まった。
「おい、大哥《あにい》。わっしになにか用でもあるのかえ。花見どきに人の腰を狙ってくると、巾着切《きんちゃっき》りと間違げえられるぜ」
睨み付けられて男はいよいよ怯《おび》えたらしい低い声で、ごめんなさいと丁寧に挨拶して、そのままそこに立ちすくんでしまった。気障《きざ》な野郎だと思いながら、半七もそのまま通り過ぎたが、よほど行き過ぎてから彼はふと考えた。あの若い男の人相や風体は巾着切りなどではないらしい。勿論こっちで見覚えのない男であ
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