殺すどころか、絵に描いた十二支の蛇を見てさえも身をすくめるような若い娘たちもあったので、蛇の祟りと決めてしまうことは出来なかった。
「と云っても、あの蜿くる姿はどうしても蛇だ」
こっちに祟られるような覚えがなくても、向うから祟るのであろう。蛇に魅《み》こまれるという伝説は昔からたくさんある。どう考えてもあの婆さんはやはり蛇の化身《けしん》で、なにかの意味で或る男や或る女を魅こむに相違ない。この説が結局は勝を占めて、怪しい老婆の正体は蛇であると決められてしまった。それが更に尾鰭《おひれ》を添えて、ある剛胆な男がそっと彼《か》の婆さんのあとをつけて行くと、かれは不忍池《しのばずのいけ》の水を渡ってどこへか姿を隠したなどと、見て来たように吹聴《ふいちょう》する者もあらわれて来た。不忍の弁天に参詣して巳《み》の日の御まもりをうけて来た者は、その禍いを逃がれることが出来るなどと、まことしやかに説明する者もあらわれた。
それが町方《まちかた》の耳にはいると、役人たちも打っちゃって置くわけには行かなくなった。由来、かような怪しい風説を流布《るふ》して世間を騒がす者は、それぞれ処罰されるのが此の時
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