い症状を表わして来て、病人はうつむいて両足を長くのばし、両手を腰の方へ長く垂れて、さながら魚の泳ぐような、蛇の蜿《のた》くるような奇怪な形をして這いまわる。さりとて家《うち》じゅうを這いまわるのでもない。大抵は敷蒲団の上を境として、その上を前へうしろへ、右へ左へ蜿うつのである。それが魚というよりむしろ蛇に近いので、看病の人たちはうす気味悪がった。思いなしか病人の眼は蛇のように忌《いや》らしくみえて、口から時々に紅い舌をへらへら[#「へらへら」に傍点]と吐く。こうした気味の悪い病症を三日五日も続けた後に、病人の熱は忘れたように冷めてけろり[#「けろり」に傍点]と本復するが、病中のことはなんにも記憶していない。なにを訊《き》いても知らないという。しかしそれらは軽い方で、重いのになるとその奇怪の症状を幾日も続けているうちに、とうとう病み疲れて藻掻《もが》き死にの浅ましい終りを遂げる者もあった。それが僅かに一人や二人であったならば、蛇を殺した祟りとでも云われそうなことであったが、なにをいうにも大勢であるために、その病人をことごとく蛇を殺した人間と認めるわけにも行かなかった。殊にそのなかには蛇を殺すどころか、絵に描いた十二支の蛇を見てさえも身をすくめるような若い娘たちもあったので、蛇の祟りと決めてしまうことは出来なかった。
「と云っても、あの蜿くる姿はどうしても蛇だ」
 こっちに祟られるような覚えがなくても、向うから祟るのであろう。蛇に魅《み》こまれるという伝説は昔からたくさんある。どう考えてもあの婆さんはやはり蛇の化身《けしん》で、なにかの意味で或る男や或る女を魅こむに相違ない。この説が結局は勝を占めて、怪しい老婆の正体は蛇であると決められてしまった。それが更に尾鰭《おひれ》を添えて、ある剛胆な男がそっと彼《か》の婆さんのあとをつけて行くと、かれは不忍池《しのばずのいけ》の水を渡ってどこへか姿を隠したなどと、見て来たように吹聴《ふいちょう》する者もあらわれて来た。不忍の弁天に参詣して巳《み》の日の御まもりをうけて来た者は、その禍いを逃がれることが出来るなどと、まことしやかに説明する者もあらわれた。
 それが町方《まちかた》の耳にはいると、役人たちも打っちゃって置くわけには行かなくなった。由来、かような怪しい風説を流布《るふ》して世間を騒がす者は、それぞれ処罰されるのが此の時代の掟《おきて》であったが、それが跡方もない風説とのみ認められないので、先ずその本人のあま酒売りを詮議《せんぎ》することになった。しかし、彼女の立ち廻る場所がどの方面とも限られていないので、江戸じゅうの岡っ引一同に対してかれの素姓あらためを命ぜられ、次第によっては即座に召し捕って苦しからずということであった。
 八丁堀同心伊丹文五郎は半七を呼んでささやいた。
「今度の一件を貴様はどう思うか知らねえが、悪くすると磔刑《はりつけ》のお仕置ものだぞ。その積りでしっかりやってくれ」
「クルスでございますかえ」
 半七は人差指で十字の形を空《くう》に書いてみせると、文五郎はうなずいた。
「さすがに貴様は眼が高い。蛇の祟りなんぞはどうも真《ま》に受けられねえ。ひょっとすると切支丹《キリシタン》だ。奴らがなにか邪法を行なうのかも知れねえから、そこへ見当をつけて詮索《せんさく》してみろ」
 こっちも内々それに目星をつけたので、半七はすぐに受け合って帰った。しかし、どこから先ず手を着けていいのか、彼もさすがに方角が立たないので、家へ帰ってからも眼をとじて考えていたが、やがて台所の方にむかって声をかけた。
「おい、誰かそこにいるか」
「あい」
 台所につづいた六畳の間に、大きい火鉢を取りまいていた善八と幸次郎とがばらばらと起《た》って来た。
「おめえたちはあま酒売りの婆さんを知っているか」と、半七は訊いた。
「出っくわしたことはありませんが、噂だけは聞いています」と、善八は答えた。
「伊丹の旦那からのお指図だ。どうにかしにゃあならねえ。この一件は俺ばかりじゃねえ、みんなも総がかりでやる仕事だから、なんでも早い勝ちだ。そこであんまり知恵のねえ話だが、まあお定まりの段取りで仕方がねえ。おめえ達はこれから手わけをして、甘酒の卸し売りをする問屋をみんな探してくれ。婆《ばばあ》だって自分の家であま酒を作るわけじゃあるめえ。きっとどこかで毎日仕入れて来るんだろうから、そういう変な婆が来るか来ねえか、方々の店で聞き合わせてくれ。こんなことは誰もがみんな手をつけることだろうが、こっちも心得のために一応は念をついて置かにゃあならねえ」
 ふたりの子分を出してやって、半七は午飯《ひるめし》を食ってしまうと、三月末の春の日はうららかに晴れていた。家にぼんやりと坐ってもいられないので、半七はどこをあてとも無し
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