「怪我でもすると詰まらねえ。もういい加減にしましょうよ。伊豆屋の見舞なら、これから家《うち》へ引っ返して握り飯の支度でもさせた方がようござんす。どうせ消《し》めった後でなけりゃあ行かれやしません」
 そういううちにも、なだれ[#「なだれ」に傍点]を打って逃げ迷ってくる半狂乱の人々に押されて揉《も》まれて、二人も幾たびか突き顛《こか》されそうになった。火は大通りまで燃え出して、その熱い息が二人を蒸して来たので、半七ももうあきらめるよりほかはなかった。
「じゃあ、松。もう帰ろうよ」
「帰りましょう」と、松吉もすぐに同意した。「ぐずぐずしていて煙《けむ》にまかれでもした日にゃあ助からねえ」
 ふたりは方向を換えようとして本芝《ほんしば》の方へ振り向く途端に、わっ[#「わっ」に傍点]という叫びがまた俄かに激しくなって、逃げ惑う人なだれが二人を押し倒すように頽《くず》れて来た。
「親分。あぶのうがすぜ」
「てめえもしっかりしろ」
 群集に揉まれて、ふたりは四、五間も押し戻されたかと思うときに、大きい獣《けもの》が自分たちのそばに来ていることを発見した。昼よりも紅い火に照らされて、混雑の中でその
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