《せんとう》へまいります」
これだけのことを確かめて、半七は更に車湯へ行った。釜前に働いている勘蔵をよび出して、かれは小声で云った。
「おい、この間はありがとう。ときに少し用があるから、そこまで一緒に来てくれ」
「へえ。どちらへ……」
「どこでもいい。当分は帰られねえかも知れねえから、おかみさんに暇乞《いとまご》いでもして行け」
勘蔵の顔色はたちまち灰のようになった。半七に引っ立てられて自身番へゆく途中も、かれの足は殆ど地に付かなかった。彼はときどきに眼をあげて青空をじっと眺めていた。
「このあいだお前に貰った干菓子《ひがし》も綺麗だったが、備前屋の娘も綺麗だったな」と、半七は歩きながら云った。
勘蔵は黙っていた。
「あの娘には情夫《いろ》でもあるかえ」
「存じません」
「知らねえことがあるもんか」と、半七はあざ笑った。「橋場《はしば》の親類の家《うち》にいるじゃあねえか。熊が出るなんて詰まらねえ囈言《うわごと》を云って、娘はもう一度橋場へやって貰おうという算段だろう。火事が取り持つ縁とは、とんだ八百屋お七だ。自分の家へ火をつけねえのが見付け物よ。又その味方になる振りをして誘い出
前へ
次へ
全35ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング