居坂、六本木、竜土の辺を焼き尽して、芝の三田から二本榎、伊皿子、高輪《たかなわ》まで燃えぬけて、夜の戌《いぬ》の刻(午後八時)を過ぎる頃にようよう鎮まった。今日の時間にすれば僅かに六時間くらいのことであったが、何分にも火の足がはやかったので、焼亡の町数は百二十六ヵ町という大火になってしまって、半七が三田へ駈けつけた頃には、知り人の家などはもう疾《と》うに灰になっていて、その立退《たちの》き先も知れないという始末であるので、江戸の火事に馴れ切っている彼も呆気《あっけ》に取られた。
「馬鹿に火の手が早く廻ったな。やい、松。これじゃあしようがねえ。今度は高輪へ行け」
「伊豆屋へ見舞に行くんですか」と、松吉は云った。
「この分じゃあ、見舞の挨拶ぐらいじゃ済むめえ。火の粉をかぶって働かなけりゃあなるめえよ」
 高輪の伊豆屋弥平はおなじ仲間であるから、半七はそこへ見舞にゆく積りで、更に高輪の方角へ駈けぬけてゆくと、日はもうすっかり暮れ切って、暗やみの空の下に真っ紅な火の海が一面にごうごう[#「ごうごう」に傍点]と沸きあがっていた。ふたりは濡れ手拭に顔をつつんで、尻端折《しりはしょ》りの足袋はだしで
前へ 次へ
全35ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング