ままで行ってしまったんだが、その死骸はどうしたろう。犬や猫とは違うんだから、むやみに取り捨ててもしまわねえだろうが、誰が持って行ったかしら。品川辺の奴らかな」
「そうでしょうね」と、松吉もうなずいた。「品川とばかりは限らねえ。世間には慾の深けえ奴が多いから、何かの金にする積りで、どさくさ[#「どさくさ」に傍点]まぎれに引っ担《かつ》いで行ったかも知れませんよ。一体あの熊はどこから出て来たのでしょうね」
「それは判らねえ。江戸のまん中にむやみに熊なんぞが棲《す》んでいる訳のものじゃあねえ。どこかの香具師《やし》の家にでも飼ってある奴が、火におどろいて飛び出したんだろう。伊豆屋でさっき聞いたんじゃあ、あの熊のために二十人からも怪我をしたそうだ。こんな噂はとかく大きくなるもんだが、話半分に聞いても十人ぐらいは飛んだ災難にあったらしい。馬鹿なことがあるもんだ」
 その日はそれで帰ったが、熊の噂はだんだんに高くなった。それは麻布の古川《ふるかわ》の近所に住んでいる熊の膏薬屋が店の看板代りに飼って置いたものであることが判った。膏薬屋は親父とむすめの二人暮しで、自分の子のようにその熊を可愛がっていたが、火事の騒ぎで逃がしたのであった。店は焼かれる。看板の熊には逃げられる。おまけにその熊が大勢の人を傷つけたというので、父娘《おやこ》は後難を恐れて、どこへか影をかくしたと伝えられた。
 しかしその熊の死骸はどうなったか判らなかった。

     三

 それから二、三日の後に、備前屋では車湯の勘蔵に十両の見舞金を贈ったということを半七は聞いた。
 夫婦や娘たちは橋場の親類から戻って来たが、娘のお絹は火事の騒ぎにあまり驚かされたので、その以来はどうも気分が悪いと云って床《とこ》に就いている。そうして、ときどき熱の加減か囈言《うわごと》のように、「あれ、熊が来た」などと口走るので、家内の者も心配しているとのことであった。その時代では大金という十両の見舞金を貰って、療治がよく行き届いたせいか、勘蔵の腕の痛みどころもだんだんに快《よ》くなるという噂を聞いて、半七も蔭ながら喜んでいた。
 そのうちに今年の春もあわただしく過ぎて、初鰹《はつがつお》を売る四月になった。その月の晴れた日に勘蔵が新らしい袷を着て、干菓子の折《おり》を持って、神田三河町の半七の家へ先ごろの礼を云いに来た。
「どうだね、
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