行きますが、それでも四ツ(午後十時)すぎにはきっと帰りました。なんでも近所の寄席《よせ》でも聴きに行くような様子でしたが、確かなことは判りません」
「金は持っていたらしいかえ」
「宿へ初めて着きました時に、帳場に五両あずけまして、大晦日《おおみそか》には其の中から取ってくれと申しました。その残金はわたくし共の方に確かにあずかってございますが、自分のふところにはどのくらい持っていましたか、それはどうも判り兼ねます」
「外から帰ってくる時には、いつも手ぶらで帰ったかえ」
「いいえ、いつも何か風呂敷包みを重そうに提げていました。村への土産をいろいろと買いあつめているらしいと女中どもは申していましたが、どんなものを買って来るのか、ついぞ訊いて見たこともございませんでした」
「そうか。じゃあ、おめえの家《うち》へ行ってその座敷をあらためて見よう」
 半七は番頭をつれて、再び信濃屋へ引っ返した。番頭に案内されて、奥二階の六畳の座敷へはいると、そこには別に眼につく物もなかった。更に戸棚をあけてみると、いろいろの風呂敷に包んだものが細紐で十文字に固く縛られて、五つ六つ積みかさねてあった。その一と包みを念のために抽《ひ》き出すと、それは可なりの目方があって、なんだか小砂利《こじゃり》でも包んであるかのように感じられた。番頭立会いでその風呂敷を解いてみると、中からは麻袋や小切れにつつんだ南京玉がたくさんあらわれた。
「何だってこんなに南京玉を買いあつめたのでしょう」と、番頭も呆《あき》れていた。
 どの風呂敷包みからも南京玉が続々あらわれて来たので、半七もさすがにおどろいた。
「なんぼ土産にするといって、こんなに南京玉を買いあつめる奴もあるめえ。商売にする気なら、どこかの問屋から纒《まと》めて仕入れる筈だ。割の高いのを承知で、店々から小買いする筈はねえ。どうも判らねえな」
 うず高い南京玉を眼のまえに積んで、半七は腕をくんでいたが、やがて思わず口の中であっ[#「あっ」に傍点]と云った。

     三

「おい、番頭さん、まったく誰もこの男のところへ尋《たず》ねて来たことはねえかどうだか、もう一度よく考え出してくれねえか」と、半七は番頭に訊《き》いた。
「さあ、わたくしはどうも思い出せませんが、それでもわたくしの留守のあいだに誰か来たことがあるかも知れませんから、女中どもを一応調べてみましょう」
 番頭は下へ降りて行ったが、やがて引っ返して来て、去年の暮の二十八日に隣り町《ちょう》の豊吉という錺《かざり》職人が一度たずねて来たのを女中の一人が知っている。但しその時は甚右衛門は留守で、豊吉はそれぎり尋ねて来ないということを報告した。
「その豊吉というのはどんな人間だえ」
「以前は小博奕《こばくち》などを打って、あまり評判のよくない男でございました」と、番頭は説明した。
「しかし去年の春頃からすっかり堅くなりまして、商売の方も身を入れますので、この頃はふところ都合もよろしいようで、十一月には品川のお政という女郎をうけ出して、仲よく暮らして居ります」
「いくら品川でも女ひとりを請《う》け出すには纒まった金がいる。多寡《たか》が錺職人が半年や一年稼いでも、それだけの金が出来そうもねえ。なにか金主があるな」
「そうでございましょうか」
「金主はきっとこの甚右衛門だ。もう大抵判っている。しかしこのことは滅多《めった》に云っちゃあならねえぞ。この南京玉はおれが少し貰って行く」
 半七は一と掴みの南京玉を袂に入れて、信濃屋からすぐに隣り町の裏長屋をたずねると、錺職人の豊吉は眉のあとの青い女房と、長火鉢の前で葱鮪《ねぎま》の鍋を突っ付きながら酒をのんでいた。
「おい、錺屋の豊というのはお前か」
「そうでございます」と、豊吉はおとなしく答えた。
「少し用がある。そこまで来てくれ」
「どこへ行くんでございます」
 豊吉の眼はにわかに光った。
「まあ、なんでもいいから番屋まで来てくれ。すぐに帰してやるから」
「いけませんよ。親分」と、彼は早くも半七の身分を覚《さと》ったらしかった。「わたしは決して番屋へ連れて行かれるような覚えはありませんよ。何かのお間違いでしょう」
「強情だな。まあ素直に来いというのに……。ぐずぐずしていると為にならねえぞ」
「だって、親分。むやみにそんなことを云われちゃあ困ります。わたしはこれでも堅気《かたぎ》の職人でございます。なるほど、以前は御禁制の手なぐさみなんぞをやったこともありますが、今じゃあ双六の賽《さい》ころ[#「ころ」に傍点]だって、掴んだことはありません。まったく堅気になったんでございますから、どうかお目こぼしを願います」
「まあ、いいや、そんなことは出るところへ出て云うがいい。なにしろお前に用があるから呼びに来たんだ。おれが呼ぶん
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