。半七は顔を識《し》っている番頭をよび出して、この三日の日に南京玉《なんきんだま》を買いに来た田舎の人はなかったかと訊いた。
繁昌の店であるから朝から晩まで客の絶え間はない。したがって南京玉を売ったぐらいのお客を一々記憶していることは困難であったが、幸いに当日が正月早々であるのと、かの大雪が降りつづいたのとで、殆ど商売は休み同様であったために、菊一の番頭はその日に買物に来たたった三人の客をよく記憶していた。その二人は近所の娘で、他のひとりは馬喰町の信濃屋という宿屋に泊まっている客であったと彼は説明した。
「名は知りませんが、去年の暮にも一度来て、村の土産《みやげ》にするのだと云って油や元結《もっとい》なぞを買って行ったことがあります。三日の朝にも雪の降るのにやって来て、どうしてもあしたは発《た》たなければならないから、近所の子供たちの土産にするのだと云って、南京玉を二百文買って行きました」
その田舎の人の人相や年頃や服装などをくわしく聞きただして、半七は更に信濃屋に足をむけた。信濃屋の番頭は宿帳をしらべて、その客は上州太田の在《ざい》の百姓甚右衛門四十二歳で、去年の暮の二十四日から逗留《とうりゅう》していた。どうしても年内には帰らなければならないと云っていたが、それがだんだんに延びてとうとうここで年を越すことになった。三ガ日がすんで、四日の日は是非たつと云っていたが、その前日の午《ひる》すぎに近所へ買物にゆくと云って出たぎり帰ってこないので、宿の方でも心配している。尤《もっと》も去年じゅうの宿賃は大晦日《おおみそか》の晩に綺麗に勘定をすませてあるので、その後の分は知れたものではあるが、ともかくも無断でどこへか形を隠してしまうのはおかしいと、帳場でも毎日その噂をしているとのことであった。
「じゃあ、気の毒だが神田まで来てくれ。なに、決して迷惑はかけねえから」
迷惑そうな顔をしている番頭を引っ張り出して、半七は彼を神田の自身番へ連れて行った。番頭はその死骸を見せられて、たしかにそれは自分の宿に三日まで泊まっていた甚右衛門という田舎客に相違ないと申し立てた。これで先ず死人の身許《みもと》は判ったが、かれが何者に連れ出されて、どうして殺されたかということは些《ち》っとも想像が付かなかった。
半七が菊一へ詮議に行ったのは、雪達磨のとけている現場で南京玉を三つ四つ発見したからであった。近所の娘子供が落としたものか、あるいは死人の所持品かと、半七は自身番へ引っ返して死人の袂を丁寧にあらためると、袂の底からたった一と粒の南京玉が発見されたので、かれが南京玉の持主であったことは確かめられた。四十以上の田舎者らしい男が南京玉などを持っている筈がないから、おそらく何処かの子供にでもやるつもりで袂のなかに入れて置いたものであろうと半七は鑑定した。
勿論その南京玉をどうして手に入れたのか、買ったのか貰ったのか、ちっとも見当は付かないのであるが、仮りに先ずそれを買ったものとして、半七はその買い先をかんがえた。もともと子供の玩具《おもちゃ》同様のものであるから、どこで買ったか殆ど雲をつかむような尋ね物であったが、田舎の人は詰まらないものを買うにも、とかく暖簾《のれん》の古い店をえらむ癖があるのを知っているので、かれは先ず馬喰町の近所で最も名高い小間物屋に眼をつけて、案外に安々とその手がかりを探り出すことが出来たのであった。
「ここまでは巧く運んだが、この先がむずかしい」と、彼は又しばらく考えていた。
「もうわたくしは引き取りましてもよろしゅうございましょうか」と、信濃屋の番頭はおずおず訊《き》いた。
「むむ、御苦労。もう用は済んだ」と、半七は云った。「いや、少し待ってくれ。まだ訊きてえことがある。一体この甚右衛門という男はなんの用で江戸へ来ていたのか、おまえ達はなんにも知らねえか」
「ふだんから寡口《むくち》な人で、わたくし共とも朝夕の挨拶をいたすほかには、なんにも口を利いたことがございませんので、どんな用のある人か一向に存じません」
「定宿《じょうやど》かえ」
「去年九月頃にも十日ほど逗留していたことがございまして、今度は二度目でございます」
「酒をのむかえ」と、半七は又訊いた。
「はい。飲むと申しても毎晩一合ずつときまって居りまして、ひどく酔っているような様子を見かけたこともございませんでした」
「誰かたずねて来ることはあったかえ」
「さあ、誰もたずねて来た人はないようです。朝は大抵五ツ(午前八時)頃に起きまして、午飯を食うといつでも何処へか出て行くようでございました」
「五ツ……」と半七は首をかしげた。「田舎の人にしては朝寝だな。そうして何時《なんどき》に帰ってくる」
「大抵夕六ツ(六時)頃には一度帰って来まして、夜食をたべると又すぐに出て
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