り切っていた。もう一つは、遠い昔に妻をうしなって久しく独身《ひとりみ》の生活をつづけていた彼は、江戸へくる途中からすでにお万を自分の物にしていたのであった。冷泉家の息女と云い触らしてある美しい行者を、かれは自分の色と慾との道具に使っていたのであった。そういう秘密がひそんでいるので、この場合にはむしろ第二の理由の方が強い力を以って彼をおびやかした。手の内の玉を奪われようとする式部は、久次郎に対しておさえ切れない嫉妬と憎悪《ぞうお》を感じた。彼は鋭い眼をかがやかして、厳重にふたりの行動を監視していた。
式部の監視がきびしいので、夜なかの秘密の祈祷の場合にも、若い行者と若い男とは膝を突きよせて親しく語るような好機会をあたえられなかった。それでも二人の心と心とがいよいよ熱して、いよいよ触れ合って来るのを式部は決して見逃がさなかった。かれは一方にお万を戒《いまし》めると共に、久次郎を追い遠ざける手段を講じた。一日でも長く釣りよせて置く方が収入《みいり》の上には都合がいいのであるが、式部はもうそんなふところ勘定をしていられなくなった。彼はどんな利益を犠牲にしても、悪魔のような久次郎を追い攘《はら
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