久次郎を奥へ呼んだ。相変らずぼんやりして店へ坐っていた久次郎は、母のまえに出てその詮議をうけたが、かれの答弁はすこぶるあいまいであった。尊い行者を涜そうとした事実について、彼はそれを絶対に否認しようともしなかったので、母はいよいよ悲しみ嘆いて、神罰のおそろしいことをくれぐれも云い聞かせた。今後その汚れた心を入れかえて、身に付きまとった禍いを祓《はら》わなければならないと、涙ながらに説き諭《さと》した。久次郎は黙っておとなしく聴いていた。
日が暮れてから久次郎はいつものようにふらりと何処へか出て行ったが、夜が更けても帰らなかった。伊勢屋でも心配して、念のために式部のところへ聞きあわせてやると、久次郎はきのうから一度もみえないという返事であった。久次郎はその晩も帰らなかった。そうして、今朝になってもまだ帰らないので、伊勢屋ではいよいよ不安を感じた。式部が掛け合いのことはお豊ひとりの胸に秘めて、店の者にはいっさい秘密にしてあったのであるが、もう斯《こ》うなっては匿《かく》しても隠されないので、お豊は番頭どもを呼びあつめて、その秘密を打ちあけた。番頭共には差し当ってどうという確かな見当も付か
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