たしか文化四年四月の申渡《もうしわた》しとおぼえていますが、町奉行所の申渡書では品川|宿《じゅく》旅籠屋《はたごや》安右衛門|抱《かかえ》とありますから、品川の貸座敷の娼妓ですね。その娼妓のお琴《こと》という女が京都の日野中納言家《ひのちゅうなごんけ》の息女だと云って、世間の評判になったことがあります。その頃、公家《くげ》のお姫様が女郎《じょろう》になったというのですから、みんな不思議がったに相違ありません。お琴は奉公中に主人の店をぬけだして、浅草源空寺門前の善兵衛というものを家来に仕立て、例の日野家息女をふりまわして、正二位|内侍局《ないじのつぼね》とかいう肩書《かたがき》で方々を押し廻してあるいていることが奉行所の耳へきこえたので、お琴も善兵衛も吟味をうけることになりました。しかし奉行所の方でも大事を取って、一応念のために京都へ問いあわせたのですが、日野家では一切知らぬという返事であったので、結局お琴は重追放、善兵衛は手錠を申し渡されて、この一件は落着《らくぢゃく》しました。なぜそんな偽りを云い触らしたのか判りませんが、おそらく品川の借金をふみ倒した上で、なにか山仕事を目論《もくろ
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