で、彦三郎の越前守、左団次の伊賀之助、菊五郎の天一坊、いずれも役者ぞろいの大出来であったなどと話した。
「御承知の通り、江戸時代には天一坊をそのままに仕組むことが出来ないので、大日坊とか何とかいって、まあいい加減に誤魔化していたんですが、明治になったのでもう遠慮はいらないということになって、講釈師の伯円が先ず第一に高座《こうざ》で読みはじめる。それが大当りに当ったので、それを種にして芝居の方でも河竹が仕組んだのですが、それが又大当りで、今日までたびたび舞台に乗っているわけですが、やっぱり書きおろしが一番よかったようですな。いや、こんなことを云うから年寄りはいつでも憎まれる。はははははは」
 芝居の話がだんだん進んで、天一坊の実録話に移って来た。
「天一坊のことはどなたも御承知ですが、江戸時代には女天一坊というのも随分あったもんですよ」と、老人は云った。「尤《もっと》もそこは女だけに、将軍家の御落胤《ごらくいん》というほどの大きな触れ込みをしないで、男の天一坊ほどの評判にはなりませんでしたが、小さい女天一坊は幾らもありましたよ。そのなかで、まず有名なのは日野家のお姫様一件でしょう。あれは
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