ら、唯そればかりじゃあ判断がつくめえ」
岡崎はちょっと笑い顔をみせたが、又すぐにまじめになった。
「変な奴の正体は女の行者《ぎょうじゃ》だ。案外に年を食っているかも知れねえが、見たところは十七か十八ぐらいの美しい女で、何かいろいろの祈祷《きとう》のようなことをするのだそうだ。まあ、それだけなら見逃がしても置くが、そいつがどうも怪《け》しからねえ。女がいい上に、祈祷が上手だというので、この頃ではなかなか信者がある。この信者のなかで工面《くめん》のよさそうな奴を奥座敷へ引き摺り込んで、どう誤魔化すのか知らねえが、多分の金を寄進させるという噂だ。男だけならば色仕掛けという狂言かとも思うが、そのなかには女もいる。いい年をした爺さんも婆さんもある。それがどうも腑《ふ》に落ちねえ。いや、まだ怪しからねえのは、そいつが京都の公家《くげ》の娘だと云っているそうだ。冷泉為清《れいぜいためきよ》卿の息女で、左衛門局《さえもんのつぼね》だとか名乗って、白の小袖に緋《ひ》の袴《はかま》をはいて、下げ髪にむらさき縮緬《ちりめん》の鉢巻のようなものをして、ひどく物々しく構えているが、前にもいう通り、容貌《きりょう》は好し、人品はいいので、なかなか神々《こうごう》しくみえるということだ。どうだ、ほんものだろうか」
「そうですねえ」と、半七は再び首をかしげた。「京都へお聞きあわせになりましたか」
「勿論、念のために聞き合わせにやってある。その返事はまだ判らねえが、冷泉為清という公家はいねえという話だ。といったら、考えるまでもなく、それは偽者だというだろうが、なにぶんにも今の時節だ。ひょっとすると、ほんとうの公卿の娘が何かの都合でいい加減の名をいっているのかも知れねえからな。そこが詮議ものだ」
「ごもっともでございます」
半七もうなずいた。今の時節――勤王討幕の議論が沸騰している今の時節では、仮りにも京都の公家にゆかりがあるという者、それは厳重に詮議しなければならない。殊に祈祷にことよせて、多分の金銀をあつめるなどとは聞き捨てにならない。討幕派の軍用費調達というほどの大仕掛けではなくとも、江戸をあばれ廻る浪士どもの運動費調達ぐらいのことは無いともいわれない。岡崎が懸念するのも無理はないと思ったので、半七はすぐにその探索に取りかかることを受け合って帰った。
かれは神田の家へ帰って、子分の多吉を呼んだ。多吉はその話を聞かされて頭をかいた。
「親分、申し訳ありません。その女の行者のことは、このあいだからわっしもちらりと聞き込んでいたんですが、ついその儘にして置いて、八丁堀の旦那に先手をうたれてしまいました。こいつは大しくじり、あやまりました。だが、あの辺は瀬戸物町の持ち場じゃありませんか」
「瀬戸物町もこの頃はひどく弱ったからな」と、半七は考えながら云った。
多吉のいう通り、茅場町辺の事件ならば、そこは瀬戸物町の源太郎という古顔の岡っ引がいるので、当然彼がその探索を云い付けられる筈であるが、源太郎はもう老年のうえに近来はからだも弱って昔のような活動も出来なくなった。子分にもあまり腕利《うでき》きがなかった。それらの事情で今度のむずかしい探索は特に半七の方へ重荷をおろされたのであろう。それを思うと、彼はいよいよ責任の重いのを感じないわけには行かなかった。
「多吉。まあ、しっかりやってくれ。なにしろ其の行者という奴が一体どんなことをするのか、それを先ず詳しく詮議しなければなるめえ。なんとかして手繰《たぐ》り出してくれ」
「ようがす。一つ働きましょう」
事件の性質が重大であるのと、ひとの縄張りへ踏み込んで働くという一種の職業的興味とで、年若い多吉は勇み立って出て行ったが、普通の人殺しや物盗りなどとは違って、事件の範囲も案外に広いかも知れないという懸念《けねん》があるので、半七は更に下っ引の源次をよび付けた。こういう事件には、なまじ其の顔を識られている手先よりも、秘密に働いている下っ引の方がかえって都合がいいかも知れないと思ったからである。
相手が京都の公家の娘で、問題が勤王とか討幕とかいう重大事件であるから、下っ引の源次はすこし躊躇した。これは自分の手にも負えそうもないから、誰か他人《ひと》に引き受けさせてくれと一応は断わったが、半七から説得されてとうとう受け合って帰った。きょうの雨は日の暮れるまで降りつづけて、宵から薄ら寒くなったが、多吉も源次も帰って来なかった。
「何をしていやあがるのか。いや、無理もねえ。あいつらにはちっと荷が重いからな」
こう思って、半七は気長に待っていると、その夜の四ツ(午後十時)過ぎに多吉が帰って来た。
「よく降りますね」
「やあ、御苦労。そこで早速だが、ちっとは種が挙がったか」と、半七は待ち兼ねたように訊《き》いた。
「まだ十分
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