家の娘ではなかった。勿論、冷泉家の息女などではなかった。しかし彼女の母は公家に奉公したもので、おなじ公家侍のなにがしと夫婦になって、お万とお千という娘ふたりを生んだのだが、六年ほど前に夫婦は流行病《はやりやまい》で殆ど同時に死んだ。たよりのない娘たちは父の朋輩の式部に引き取られたが、その式部もなにかの不埒があって屋敷を放逐されることになったので、かれは二人の美しい娘を連れて、今後のたつきを求めるために関東へ下《くだ》って来た。その途中でふと思い付いたのが祈祷所の仕事であった。
式部は加茂の社《やしろ》に知己《しるべ》の者があったので、祈祷や祓《はら》いのことなどを少しは見聞きしていた。もとの主人が易学を心得ていたので、その道のことも少しは聞きかじっていた。それらを世渡りの手段として、かれは江戸のまん中に祈祷所の看板をかけたのであるが、自分では諸人の信仰を得がたいと思ったので、姉娘の美しいお万を行者に仕立てて、自分がうしろから巧みにそれを操《あやつ》ってゆくことにした。まだその上にも世間の信仰を増すことをかんがえて、かれは堂上方の消息に通じているのを幸いに、都合よく云いこしらえてお万を冷泉の息女であると吹聴《ふいちょう》した。式部自身はその家来と名乗っていた。妹は腰元の藤江に化けていた。この大胆な計画が予想以上に成功して、迷信の強い江戸の人々を見事に瞞着しているうちに、ここに一つの障碍《しょうがい》が起った。それは炭団伊勢屋の息子が母の祈祷をたのみに来たことであった。
母の祈祷だけで済めば、何事もなかったのであるが、伊勢屋が裕福であることを知っている式部は、更にお万に入れ知恵をして息子の久次郎をも釣り寄せることを巧らんだ。久次郎は果たして釣り寄せられて来たが、それが単に信仰ばかりではないらしく見えた。式部はそれを薄々承知のうえで、いろいろの口実を設けて少なからぬ奉納金を幾たびも巻きあげた。
それで済めばよかったのである。式部に取ってはむしろ思う壺にはまったのであったが、だんだん時日を経るあいだに、お万の魂もいつか権十郎息子の方へ引き寄せられてゆくらしく見られて来たので、それに気がついた式部は今更にあわてた。それにはまた二様の意味があった。第一には商売の妨げになることで、尊い行者がその信者と恋に落ちたなどということが世間に洩れた暁には、たちまちその信用を落すのは判
前へ
次へ
全18ページ中16ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング