る》にも歯齦《はぐき》にも紅を濃く染めて、大きい口を真っ紅にみせていた。とんだ芝居をする奴だと、かれは半七に笑われた。
自身番へ引っ立てられた時、かれは狂女を粧《よそお》ってその場を逃がれる積りであるらしかったが、あとから彼《か》の男と庄太とが大きい黒犬の死骸を引き摺って来たので、かれの狂言は結局不成功に終った。
彼女はお紺という獣《けもの》つかいであった。子供のときから熊や狼をつかうことを習いおぼえて、以前は両国の観世物小屋に出ていたこともあった。方々の寺内で縁日の小屋掛け興行に出たこともあった。近在や近国の祭礼などに出稼ぎに行ったこともあった。本職の芸当はなかなか上手であったが、かれはいろいろの悪い癖をもっていた。女に似あわない大酒は、こういう商売の者として大目《おおめ》にも見られたのであるが、そのほかに誰にもゆるされないのは、かれの手癖の悪いことであった。それは殆ど天性ともいうべきで、お紺は手あたり次第に楽屋じゅうのものを何でも盗んだ。金は勿論であるが、櫛でもかんざしでも、煙草入れでも、眼に触れるものは何でも逃がさなかった。それも最初のうちはあやまって堪忍されたのであるが、あ
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