。町内の医者もすぐに来たが、お作は何者にか喉笛を啖い破られているので、もう手当てを加える術《すべ》もなかった。お伊勢は夢のようで、なにがどうしたのかちっとも判らなかった。お作の行水をうかがっていたらしい女は、このどさくさのあいだに何処へか消え失せてしまった。しかし前後の事情から考えると、お作を殺した疑いは先ず第一にその女のうえに置かれなければならなかった。白地の浴衣を着た女、酒屋の下女を啖い殺した女、小間物屋の女房を啖い殺した女、それが又もやここにあらわれて、赤裸の若い女を啖い殺したのであろうとは、誰の胸にもすぐに浮がび出る想像であった。鬼娘が又来たという噂はたちまち拡がって、近所の人達をいよいよおびやかした。庄太の女房もゆうべはおちおち眠らなかった。
「その時におめえは家《うち》にいたのか」と、半七は訊いた。
「ところが、親分。その時わっしは表の足袋屋の店へ行って、縁台で将棋をさしていたんですよ。この騒ぎにおどろいて帰って来た時には、長屋の者が唯わあわあ云っているばかりで、ほかには誰もいませんでした。白地の浴衣を着た女なんぞは影も形も見えませんでした」
「あの露路は抜け裏か」
「以前は通りぬけが出来たんですが、もともと広い露路でもなし、第一無用心だというので、おととし頃から奥の出口へ垣根を結ってしまったんですが、もういい加減に古くなったのと、近所の子供がいたずらをするのとで、竹はばらばらに毀れていますから、通りぬけをすれば出来ますよ」
「むむ」と、半七は考えていた。「無論、検視もあったんだろうが、なんにも手がかりは無しか」
「どうも判らねえようですね。今も田町《たまち》の重兵衛の子分に逢いましたが、重兵衛はなにか色恋の遺恨じゃあねえかと、専らその方を探っているそうです。なるほど、お作はあんな女ですから、そこへ眼をつけるのも無理はありませんが、刃物で突くとか斬るとかいうなら格別、啖《く》い殺すのがどうもおかしい。それもお作一人でなし、ほかに二人も死んでいるんですからね。田町の子分共もこれにはちっと行き悩んでいるようでしたよ」
「喉笛へ啖《くら》い付くとはよくいうことだが、なかなか出来る芸じゃあねえ」と、半七はまた考えていた。「ほんとうに啖い殺したのかしら、鉄砲疵には似たれども、まさしく刀でえぐった疵、とんだ六段目じゃあねえかな」
「さあ」と、庄太も少し考えていた。「
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