るすると滑り落ちて来るらしかった。
「与之助。御用だ」と、半七はその影を捕えようとして駈け寄ると、影はあと戻りをして坂路を一散に駈け降りた。半七はつづいて追って行った。
杉林に囲まれた坂路をころげるように駈けてゆく与之助は、途中から方角をかえて次の坂路を駈け上がろうとするらしかった。半七はふと気がついた。この坂の上には黒門がある。妙義の黒門は上野の輪王寺に次ぐ寺格で、いかなる罪人でもこの黒門の内へかけ込めば法衣《ころも》の袖に隠されて、外からは迂濶に手がつけられなくなる。それに気がつくと、半七も少し慌てた。中仙道をここまで追い込んで来て、ひと足のところで黒門へ駈け込まれてしまっては何にもならない。彼は一生懸命に与之助のあとを追った。
逃げる者も勿論一生懸命である。与之助は暗い坂路を呼吸《いき》もつかずに駈けあがって行った。坂の勾配《こうばい》はなかなか急で、逃げる者も追うものも浸《ひた》るような汗になった。ふたりの距離はわずかに一間ばかりしか離れていないのであるが、半七の手はどうしても彼の襟首にとどかなかった。そのうちに長い坂ももう半分以上を越えてしまって、法衣の袖を拡げたような黒
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