り合いが出来て、ときどきにそっと泊まり込みにゆくらしいという噂もある。それらの事実を探り出して、ふたりはここを立ち去った。
「さあ、もうひと息だ」
半七は先に立って歩いた。お国の菩提寺は、中の郷の普在寺であると聞いたのを頼りに訪ねてゆくと、その寺はすぐに知れた。小さい寺ではあるが、門内の掃除は綺麗に行きとどいて、白い百日紅《さるすべり》の大樹が眼についた。入口の花屋で要りもしない線香と樒《しきみ》を買って、半七はそこの小娘にそっと訊いた。
「ここのお住持はなんという人だえ」
「覚光さんといいます」
「本所からお国さんという髪結さんが時々来るかえ」
「ええ」と、娘はうなずいた。
「泊まって行くこともあるかえ」
娘はだまっていた。
「それから、やっぱり本所の方から尼さんが来やあしないかえ」
「ええ」と、娘は又うなずいた。
「なんという人だえ」
娘はなにか云おうとする時に、婆さんが手桶をさげて帰って来た。かれは娘を眼で制しながら、半七らに向ってひと通りの世辞などを云い出した。そのうちに又ひと組の参詣人が花や線香を買いに来たので、半七は思い切って店を出た。
「この線香をどうしますえ」と、熊蔵は小声で訊いた。
「捨てるわけにも行くめえ。無縁の仏にでも供えて置こう」
残暑の強い此の頃ではあるが、墓場にはもう秋らしい虫が鳴いていた。半七は何物かをたずねるように石塔のあいだを根気よく縫い歩いていると、墓場の奥の方に紫苑《しおん》が五、六本ひょろひょろ高く伸びていて、そのそばに新らしい卒堵婆《そとば》が立っているのを見つけた。卒堵婆は唯一本で、それには俗名も戒名も書いてなかったが、きのう今日に掘り返された新らしい墓であることはひと目に覚られた。
「ここに新ぼとけがある。ここらへ供えて置きましょうか」と、熊蔵は手に持っている樒と線香とを見せた。
「馬鹿。飛んでもねえことをするな」と、半七は叱った。「それほど邪魔になるなら、どこへでも打っちゃってしまえ。手前のようなどじ[#「どじ」に傍点]はねえ。そんなものはこっちへよこせ」
熊蔵の手から樒と線香とを引ったくって、半七はすたすた歩き出した。
四
「これからの道行《みちゆき》を下手《へた》に長々と講釈していると、却って御退屈でしょうから、もうここらで種明かしをしましょうよ」と半七老人は云った。「今の人はみんな頭がいいから、ここまでお話をすれば、もう大抵お判りになったでしょうが、弁天堂で死んでいたのはやっぱり髪結のお国で、善昌は生きていたんです」
「善昌が殺したんですか」と、わたしは訊いた。
「そうです。善昌という尼はひどい奴で、当人は一々白状しませんでしたけれど、前にもいろいろの悪いことをしていたらしいんです。勿論、お国という女も無事には済まない身の上で、こうなるのも心柄です。初めにお話し申した通り、弁天堂のお賽銭や仏具をぬすみ出そうとして菓子や餅の毒にあたって死んだ若い男がある。あれは仏の罰でも何でもない、善昌とお国が共謀して殺したんです。誰もそれに気がつかないで、可哀そうにその男は身許不詳の明巣《あきす》ねらいにされて、近所の寺へ投げ込まれてしまったんですが、実は善昌のむかしの亭主の弟だそうです。善昌は越中富山の生まれで、早く亭主に死に別れて江戸へ出て来て、本所で托鉢の比丘尼をしているうちに、どこからか弁天様を見つけ出して来て、いい加減の出鱈目《でたらめ》を吹聴すると、その山がうまくあたって、だんだんにお有難連の信者がふえて来た。ところへ、ひょっくりと出て来たのが先《せん》の亭主の弟で与次郎という、堀川の猿廻し見たような名前の男で、これがどうして善昌の居どこを知ったのか、だしぬけに訪ねて来て何とか世話をしてくれという。よんどころなしに幾らか恵んで追っ払ったのですが、こいつもおとなしくない奴とみえて、なんとか因縁をつけて無心に来る。断われば何か忌がらせを云う。こんな者が繁々《しげしげ》入り込んでは、ほかの信者の手前もあり、もう一つには善昌の方にも何かうしろ暗いことがあって……これは当人がどうしても白状せず、なにぶん遠い国のことでよく判りませんでしたが、善昌は先《せん》の亭主を殺して江戸へ逃げて来たのを、弟の与次郎が薄々知っていて、それを種にして善昌を強請《ゆす》っていたのではないかとも思われます。……そんなわけで、この与次郎を生かして置いては為にならないと思ったので、ふだんから仲のいいお国と相談して、与次郎を殺す段取りになったんです。善昌の申し立てによると、自分は殺すほどの気はなかったが、お国がいっそ後腹《あとばら》の病めないように殺してしまえと勧めたのだということです。いずれにしても与次郎を亡き者にすることに決めたが、勿論、むやみに殺すことは出来ない。そこで、善昌は与次郎に向ってこういう相談を持ちかけたんです。
わたしも出来るだけはお前の世話をしてあげたいが、今の身分ではなかなか思うようには行かない。就いてはお前の方でこの弁天様をもっと流行らせてくれまいか。信者がふえれば賽銭もふえる。寄進もふえる。したがってお前の為にもなるというわけであるから、その積りで一つ芝居を打ってくれということになったのです。その芝居というのは、与次郎が泥坊の振りをして弁天堂へ忍び込んで、賽銭や仏具をぬすみ出そうとすると、からだが竦《すく》んで動かれなくなる。そこへお国が来て騒ぎ立てる。近所の者も集まって来る。いい頃を見計らって善昌が帰って来て、これも弁天様の御罰だと云って何かの御祈祷をすると、与次郎のからだが元の通りになる。ほかの者が縛って突き出そうと云っても善昌がなだめて免《ゆる》してやる。さあ、こうなれば諸人の信仰は愈々増して、弁天様の霊験あらたかであるという評判がいよいよ高くなる。信者が俄かにふえる。収入《みいり》も多くなる。
この相談を持ちかけられて、与次郎という奴は馬鹿か、ずうずうしいのか、それは面白いと受け合って、とうとうその芝居を実地にやってみることになったんです。そこで筋書の通りに運んで行って、賽銭を袂に入れる。金目になりそうな仏具を背負い出すという段になると、留守のはずの善昌が奥から出て来て、からだが竦むというだけではいけない、これを食って苦しむ真似をしてくれと云って、仏前に供えてある菓子と餅とをとって与次郎の口へ押し込んだので、なに心なくむしゃむしゃ食うと、さあ大変、与次郎はほんとうに苦しみ出して、口や鼻から血を吐くという騒ぎ。お国も奥で様子を窺っていて、与次郎がもう虫の息になった頃をみすまして、善昌は裏からそっと出て行く。お国は表口へ廻って来て、今初めてそれを見つけたように騒ぎ立てる。与次郎は一杯食わされて、さぞ口惜《くや》しかったでしょうが、もう口を利く元気もない。餅と菓子とを指さしただけで、苦しみ死《じに》に死んでしまったのです。遠国の者ではあり、下谷あたりの木賃宿《きちんやど》にころがっている宿無し同様の人間ですから、死ねば死に損で誰も詮議する者もない。心柄とは云いながら、ずいぶん可哀そうな終りでした。
禍いを転じて福となすとかいうのは此の事でしょう。善昌の方ではこの芝居が大あたりで、邪魔な与次郎を殺《やす》めてしまった上、案の通りに信者はますます殖えてくる。万事がとんとん拍子に行って、弁天堂を立派に再建《さいこん》するほどの景気になったんですが、与次郎の代りにお国というものが出来て、これが時々無心に来る。しかしこれは女のことでもあり、自分も与次郎毒殺の一味徒党であるから、そんなに暴っぽいことは云わない。それで二人は先ず仲よく附き合っていたんですが、さらに一つの捫著《もんちゃく》が出来《しゅったい》したんです」
ここまで話して来て、老人は息つぎの茶をひと口飲んだ。普在寺の覚光という若い住職を中心にして、尼と女髪結とのあいだに色情問題の葛藤が起ったらしいことを、私はひそかに想像していると、老人の説明も果たしてその通りであった。
「お国は勿論ですが、善昌も行儀のよくない奴で、うわべは殊勝《しゅしょう》らしく見せかけて、かげへ廻っては茶碗酒をあおるという始末。仲のいいお国は飲み友達で、夜が更けてからお国が酒や肴をこっそりと運び込んで、六畳の小座敷で飲んでいる。そればかりでなく、ふたりは花を引く。これは三人でないとどうも面白くないので、お国が善昌を誘い出して時々かの普在寺へ遊びにゆく。この寺の覚光という青坊主がまたお話にならない堕落坊主で、酒は飲む、博奕は打つ、女狂いはするという奴だから堪まらない。同気相求むる三人があつまって、酒を飲んだり、花をひいたりして遊んでいるうちに、善昌の金廻りのいいのを見て、色と慾とで覚光は係り合いを付けてしまった。覚光というのはまったく悪い奴で、尼と女髪結とを両手にあやなして、双方から絞り取った金で吉原通いをしている。このよし原通いのことはお国も善昌も知らなかったが、おたがい同士の秘密はいつか露顕したので、自然両方が角《つの》突き合いになったんですが、なにぶんにも善昌の方が、お国よりは女振りが少しいい上に、年も若い。おまけに金廻りもいいと来ているので、お国の方では妬《や》けて妬けてたまらない。善昌をつかまえて、さあ、覚光と手を切るか、さもなければお前がふだんの行状を残らず信者に触れて歩くぞと云って、うるさく責め付けるというわけです。
しかし善昌も堕落坊主を思い切ることは出来ない。お国はいよいよ躍起《やっき》となって、どうしても男と手を切らなければ与次郎殺しの一件を訴人するから覚悟しろという、おそろしい手詰めの談判になって来たので善昌もいよいよ困った。勿論、お国も与次郎殺しの徒党ですから、迂濶にそれを口走れば自分の身が危いので、ただ嚇かすばかりで思い切ったことも出来ない。それを知って、善昌もいい加減にあしらっているので、お国はますます焦れ込んで、何がなしに善昌を困らせてやろうと思って、祈祷の中日《なかび》の前夜に押し掛けて行って、大事の弁天様を無理無体にかつぎ出してしまったのです。これには善昌もまったく困って、信者にはいい加減の出たらめを云って、誤魔化しておいて、お国の方へいろいろに泣きを入れると、お国もようよう納得して、きっと覚光と手を切るならば戻してやると云って、十五日の夜ふけにかの木像を返しに来たんです。
それから先のことは、なにぶん一方のお国が死んでいるので、善昌の片口だけではよく判りませんが、ともかくも二人が酒を飲むことになって、お国が油断して酔ってしまったところを、善昌が不意に絞め殺したらしいのです。本人は一時の出来心だと云っていましたが、どうも前から巧んだことらしい。善昌はどうしても覚光のことが思い切れない、さりとて打っちゃって置けば何を云い出すか判らないという懸念があるので、とうとうこんなことになってしまったんです。お国の死骸には自分の法衣《ころも》を着せかえて、わざと手足を縛って、台所の揚板の下へ引き摺って行って、まだ少し息の通っている女の首を……。いやどうも残酷な奴です。
こうして、自分が強盗に殺されたように仕組んだ以上、うかうかしてはいられないので、有り金は勿論、目ぼしい物は一と包みにして弁天堂を逃げ出すことになりました。お国の首は滅多なところへ隠されないので、これも抱え込んで行ったのです。ゆく先は普在寺で、覚光に一切のことを打ち明けて、当分はここに隠まってくれと云われた時には、さすがの覚光も顔の色を変えて驚いたが、迂濶に善昌を突き出すと、自分の女犯《にょぼん》その他の不行跡が残らず露顕する虞《おそ》れがあるので、迷惑ながらともかくも隠まうことにして、お国の首は墓地の隅に埋めて置いたというわけです。わたくしも新らしい卒堵婆をたてた墓がどうもおかしい、そこを掘ったらばお国の首が出るだろうと思ったんですが、むかしでも墓荒しは非常にやかましいのですから、そのときは一旦無事に引き揚げて、町方《まちかた》からあらためて寺社奉行へ届けた上で、わたくし共が捕り方に出向きました」
「善昌は素直につかまりましたか」
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