百日を過ぎれば自然に判ることである。それを疑うものは参拝を止めたらよかろうと、彼女はきっぱりと云い切った。
こう云われると一言もないので、誰も彼もみな黙ってしまった。そうして、日々の祈祷は今までの通りに続けられたが、尊像紛失のうたがいはまだ全く消えないで、信者のあいだにはいろいろの噂が伝えられているうちに、いよいよ盂蘭盆の十五日が来た。祈祷はこの日限りでとどこおりなく終った。
あくる十六日の朝になっても、弁天堂の扉《と》はあかなかった。日々の祈祷の疲れで、きょうは善昌さんも朝寝坊をしているのであろうと、近所の者も初めのうちは怪しまなかったが、やがて午《ひる》ごろになっても扉があかないので、不思議に思って裏口へまわって窺うと、水口《みずぐち》の戸には錠がおろしてないとみえて、自由にさらりとあいた。幾たびか声をかけても返事がないので、近所の二、三人が思い切って薄暗い奥へはいると、どこにも善昌のすがたが見えなかった。かれは六畳の小座敷に寝起きしている筈であるが、そこには蚊帳さえも釣ってなかった。
ひとり者であるから、今までにも家をあけて出ることは珍らしくなかったが、午頃までも表の扉をあけないというのは不思議である。それを聞き伝えて、信者の誰かれも集まって来て、大勢が立ち会いの上で堂内をあらためたが、どこも綺麗に片付いていて、別に怪しむべき形跡もなかった。そのうちに一人が云い出した。
「善昌さんはもしや駈け落ちをしたのではあるまいか」
弁財天の尊像紛失はやはり事実で、かれはその申し訳なさに、十五日間の祈祷料や賽銭のたぐいを掻きあつめて、どこへか駈け落ちしたのではあるまいかというのである。或いはそんなことが無いとも云えない。それでなくとも、このあいだから諸人の疑問になっているので、大勢は立ち寄って恐る恐るその帳《とばり》をあけると、かの尊像のおん姿は常のごとく拝まれたので、一同は案に相違した。善昌の云ったのは嘘でなかった。その疑いが解けると同時に、それならばなぜ善昌はその姿をかくしたかという新らしい疑いが更に深くなった。
弁天堂は信者の寄進によって善昌が作りあげたのであるが、こういう事件が起った以上、この露路のなかを差配している家主にも一応ことわって置かなければならないというので、誰かがそれを届けにゆくと、家主もとりあえず出て来た。そこで相談の上あらためて家捜《やさが》しをすることになって、念のために床下までもあらためると、台所の揚板の下には炭俵が二、三俵押し込んである。その一つのあき俵のなかに首を突っ込んで、善昌がうつむきに倒れているのを発見したときは、大勢は思わず驚きの声をあげた。善昌は手足をあら縄で厳重に縛《くく》られていた。
それだけでも諸人をおどろかすに十分であるのに、更に人々をおどろかしたのは、二、三人がそのからだを抱き起そうとすると、あき俵をかぶせられている善昌には首がなかった。かれは首を斬り落されているのであった。今度は誰も声を出す者がない、いずれも唖《おし》のように眼を見あわせているばかりであった。
「善昌さんの首がない」
その噂が隣り町《ちょう》まで伝わって、他の信者たちもおどろいて駈けつけた。見物の弥次馬も続々あつまって来た。狭い露路のなかは人を以って埋められた。おくれ馳せに来た者は往来にあふれ出して、唯いたずらにがやがや[#「がやがや」に傍点]と罵りさわいでいるのであった。
善昌の死――その仔細は誰にも容易に想像された。この十五日間、厄《やく》よけの祈祷をおこなって、護摩料や祈祷料や賽銭が多分にあつまっているので、それを知っている何者かが忍び込んで彼女を殺害したのであろう。善昌は抵抗したために殺されたのか、あるいは先ず善昌を殺して置いて、それから仕事に取りかかったのか、その順序はよく判らなかったが、いずれにしても其の首を斬り落すのは余りに残酷である。床板を引きめくって縁の下を隈《くま》なくあらためたが、その首はどうしても見付からなかった。
首のない尼の死骸は六畳の間に横たえられて、役人の検視をうけることになった。本所は朝五郎という男の縄張りであったが、朝五郎は千葉の親類に不幸があって、あいにくきのうの午すぎから旅に出ているので、半七が神田から呼び出された。半七はちょうど来あわせている子分の熊蔵を連れて駈けつけた。地獄の釜の蓋《ふた》があくという盂蘭盆の十六日は朝から晴れて、八ツ(午後二時)ごろの日ざかりは灼《や》けるように暑かった。ふたりは眼にしみる汗をふきながら両国橋をいそいで渡ると、回向院《えこういん》の近所には藪入りの小僧らが押し合うように群がっていた。
「ここの閻魔《えんま》さまは相変らずはやるね」と、熊蔵は云った。
「はやるのは結構だが、閻魔さまもちっと睨みを利かしてくれねえじゃあ困る。盆ちゅうにも人殺しをするような奴があるんだからな」
こんなことを云いながら二人は弁天堂にゆき着くと、露路の内そとには大勢の見物人がいっぱいに集まっている。それを掻きわけてはいってゆくと、検視の町《まち》役人ももう出張っていた。
「どうも遅くなりました。皆さん、御苦労さまでございます」
半七は一応の挨拶をして、まず善昌の死骸を丁寧にあらためた。死骸の手足はあら縄で厳重にくくられていたが、殆ど無抵抗で縄にかかったらしいことは、多年の経験ですぐに覚られた。そこらの畳には血の痕らしいものは見えなかった。もしや綺麗に拭き取ったのかと、半七は犬のように腹這って畳の上をかいでみた。
「尼さんは酒を飲みますかえ」と、半七はそこに控えていた信者の一人に訊いた。
当人は飲まないと云っていた。身分柄としてもそう云わなければならないのであろうが、内証では時々に少しぐらい飲んでいたこともあるらしいという信者の答えを聴いて、半七はうなずいた。畳には新らしい酒の香が残っていた。なにか紛失物はないかと訊くと、それはよく判らないが、尼が大切にしている革文庫がみえない。そのなかに金のしまってあるのを知って盗み出したのではあるまいかというのであった。半七は又うなずいた。
型の通りの検視が済んで、そのあと調べを半七にまかせて、役人たちは引き揚げた。町《ちょう》役人や家主も一旦帰った。あとに残されたのは町内の薪屋《まきや》の亭主五兵衛と小間物屋の亭主伊助で、この二人は信者のうちの有力者と見なされ、いわゆる講親《こうおや》とか先達《せんだつ》とかいう格で万事の胆煎《きもい》りをしていたのである。半七はこの二人を残しておいて、善昌の身もと詮議をはじめた。
「善昌は幾つですね」
「自分でもはっきり云ったことはありませんが、なんでも三十二三か、それとも五六ぐらいになっていましょうか。見かけは若々しい人でございました」と、五兵衛は答えた。
「独り者で、ほかに身寄りらしい者もないんですね」
「自分は孤児《みなしご》で、天にも地にもまったくの独り者だと、ふだんから云っていました」と、伊助は答えた。
「よそへ泊まって来たことがありますかえ」
「祈祷などを頼まれて、夜も昼も出あるくことはありましたが、遅くもきっと帰って来まして、家をあけたことは一と晩もなかったようです」と、伊助はまた答えた。
これを口切りに善昌がふだんの行状から先頃の蝶合戦のこと、それから続いて今度の祈祷のことを、半七は残らず聞きただした。それが済んでから彼《か》の問題の尊像というのを一応あらためると、木彫りの弁財天は高さ三尺ばかりで、かなりに古びたものであった。半七はその木像を撫でまわして、更に二、三ヵ所|嗅《か》いでみた。そうして、小声で熊蔵に云った。
「熊や、おめえも嗅いでみろ」
三
「尼さんには用のねえ商売だが、男か女の髪結いで、ここの家《うち》へ心安く出這入りをする者がありますかえ」と、半七は訊いた。
伊助は小間物屋であるだけに、その人をよく識っていた。それは隣り町に住んでいるお国という女髪結で、善昌とは古いなじみでもあり、もちろん信者の一人でもあるので、ふだんから近しく出入りをしている。これも独り者で、年頃は四十を一つ二つ越しているかも知れないと云った。
「それじゃあすぐに呼んでください」
「かしこまりました」
伊助は怱々出て行ったが、やがて引っ返して来て、お国はゆうべから家《うち》へ帰らないと云った。独り者であるから、いつも朝から家を閉めて商売に出歩いている。親類の家へ泊まるとか云って、夜も帰らないことがしばしばある。きのうも夕方に帰って来て、湯に入ってから何処へか出かけたぎりで帰らない。大かた親類へでも泊まりに行って、きょうは藪入りで商売は休みであるから、どこかを遊び歩いているのであろうとのことであった。
「それじゃあ、いつ帰るか判らねえ」
思案しながら半七は、再び善昌の死骸に眼をやると、首のない尼は白い麻の法衣《ころも》を着て横たわっていた。半七はその冷たい手を握ってみた。
もしもお国が帰って来たらば、そっと自分のところまで知らせてくれと頼んで置いて、半七はひと先ずここを引き揚げることになった。暑い時分のことであるから、信者たちがあつまってすぐに死骸の始末をすると五兵衛は云っていた。
「勿論このまま打っちゃっても置かれめえが、火葬にするのはお見合わせなさい。この死骸について、後日《ごにち》又どんなお調べがないとも限りませんから」と、半七は注意した。
「では、土葬にいたして置きます」
五兵衛と伊助に見送られて、半七はここを出た。
さっきから余ほどの時間が経ったようであるが、七月なかばの日はまだ沈みそうもなかった。片蔭のない竪川の通りをふたりは再び汗になって歩いた。
「蝶合戦のあったというのはここらだな」
「そうでしょう」と、熊蔵は云った。「わっしは見なかったが、なんでも大変な評判でしたよ」
「むむ。評判だけは俺も聴いている」と、半七は立ちどまって川の水をながめていたが、やがて子分にささやいた。「おい、おめえはさっきあの木像を嗅いで、どんな匂いがした」
「なんだか髪の油臭いような匂いがしましたよ」
「むむ」と、半七はうなずいた。「善昌は尼だ。髪の油に用はねえ筈だ。なんでも油いじりをする奴があの木像に手をつけたに相違ねえ」
「すると、そのお国とかいう女髪結がいじくったかも知れませんね」
「おめえはあの死骸を誰だと思う」
「え」と、熊蔵は親分の顔をながめた。
「おれの鑑定では、あれがお国という女髪結だな」
「そうでしょうか」と、熊蔵は眼を見はった。「どうしてわかりました」
「あの死骸の手にも油の匂いがしている。梳《す》き油や鬢付《びんつ》けの匂いだ。元結《もっとい》を始終あつかっていることは、その指をみても知れる。善昌は三十二三だというのに、あの肉や肌の具合が、どうも四十以上の女らしい。足の裏も随分堅いから、毎日出あるく女に相違ねえ」
「それじゃあお国の首を斬って、その胴に善昌の法衣《ころも》を着せて置いたんでしょうか」
「まずそうらしいな。お国はゆうべから帰らねえというが、おそらく来年の盆までは娑婆《しゃば》へ帰っちゃあ来ねえだろうよ」と、半七はにが笑いをした。「それにしても、なぜお国を殺したかが詮議物だ。お国を自分の替え玉にして残して置いて、本人の善昌はどこにか隠れているに相違ねえ。おめえはこれから引っ返して、お国という女の身許や、ふだんの行状をよく洗って来てくれ。そうしたら何かの手がかりが付くだろう」
「ようがす。すぐに行って来ます」
「いや、待ってくれ。おれも一緒に行こう。こんなことは早く埒をあける方がいい」
ふたりは連れ立って又引っ返した。
お国の家は弁天堂の隣り町《ちょう》で、これも狭い露路の奥の長屋であった。近所でだんだん聞きあわせると、お国の評判はどうもよくない。若いときから二、三人の亭主をかえて、今では独身《ひとりみ》で暮らしているが、絶えず一人ふたりの男にかかり合っているらしく、親類の家へ泊まりにゆくというのも嘘かほんとうか判らない。その菩提寺の住職が去年死んで、その後は若い住職に変ったが、その僧とも何かの係
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