けないというのは不思議である。それを聞き伝えて、信者の誰かれも集まって来て、大勢が立ち会いの上で堂内をあらためたが、どこも綺麗に片付いていて、別に怪しむべき形跡もなかった。そのうちに一人が云い出した。
「善昌さんはもしや駈け落ちをしたのではあるまいか」
弁財天の尊像紛失はやはり事実で、かれはその申し訳なさに、十五日間の祈祷料や賽銭のたぐいを掻きあつめて、どこへか駈け落ちしたのではあるまいかというのである。或いはそんなことが無いとも云えない。それでなくとも、このあいだから諸人の疑問になっているので、大勢は立ち寄って恐る恐るその帳《とばり》をあけると、かの尊像のおん姿は常のごとく拝まれたので、一同は案に相違した。善昌の云ったのは嘘でなかった。その疑いが解けると同時に、それならばなぜ善昌はその姿をかくしたかという新らしい疑いが更に深くなった。
弁天堂は信者の寄進によって善昌が作りあげたのであるが、こういう事件が起った以上、この露路のなかを差配している家主にも一応ことわって置かなければならないというので、誰かがそれを届けにゆくと、家主もとりあえず出て来た。そこで相談の上あらためて家捜《やさ
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