お徳にはお通《つう》という妹がございまして、これも今年十七になりましたので、この正月から奉公に出ました。桂庵《けいあん》は外神田の相模屋という家でございます。江戸へ出ますと、まずわたくしのところの姉を頼って来まして、その相模屋へは姉が連れて行ったのでございました。しますと、その相模屋の申しますには、丁度ここにいい奉公口がある。江戸者ではいけない、なんでも親許《おやもと》は江戸から五里七里は離れている者でなければいけない。年が若くて、寡言《むくち》で正直なものに限る。それから一つは一年の出代りで無暗《むやみ》に動くものでは困る。どうしても三年以上は長年《ちょうねん》するという約束をしてくれなければ困る。その代りに夏冬の仕着せはこっちで為《し》てやって、年に三両の給金をやる」
「ふむう」と、半七は眉をよせた。
この時代の下女奉公として、年に三両の給金は法外の相場である。三両一人|扶持《ぶち》を出せば、旗本屋敷で立派な侍が召し抱えられる世のなかに、ぽっと出の若い下女に一年三両の給金を払うというのは、なにか仔細がなければならないと彼は不思議に思っていると、平兵衛はつづけて話した。
「お徳はさ
前へ
次へ
全27ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング