ればかりでなく、三島の家の様子も調べて来るんだぜ。そのおきわという娘に弟妹《きょうだい》があるかどうか。それをよく洗って来てくれ。いいか」
「ようがす」
松吉はすぐに出て行った。なにぶんにも頭が重いので、半七は湯にはいって風邪薬を飲んで、日の暮れないうちから衾《よぎ》を引っかぶって汗を取っていると、夜の五ツ(午後八時)頃に松吉が帰って来た。
「親分、ひと通りは調べて来ました。娘と駈け落ちした奴は良次郎といって、宿は浅草の今戸《いまど》だそうです。年は二十二で小面《こづら》ののっぺりした野郎で、後家さんのお気に入りだったそうです」
「で、どこへ行ったか、まったく判らねえのか」
「判らねえそうです。無論に浅草の宿にはいねえんですが、どこへ行っていますか」
「おきわには弟妹があるのか」
「ありません。一人娘だそうです」
「そうか」
少し見当がはずれたので、半七は床の上で首をかしげていたが、そのほかにも松吉が調べて来た三島の一家の事情をそれからそれへと詮議して、半七はなにか思い当ることがあったらしい。にやにや笑いながらうなずいた。
「よし、もうそれで大抵わかった」
「ようがすかえ、それだけで」
「もういい、あとは俺が自分でやる」
あくる朝早く起きると、ゆうべ汗を取ったせいか半七の頭も余ほど軽くなった。陰《かげ》ってはいるが、きょうは雨やみになっているので、半七はあさ飯の箸を措《お》くとすぐに町内の生薬屋《きぐすりや》へ行った。女中のお徳をよび出して、妹の手紙をとどけて来たという男の人相や年頃を詳しく訊いて、その足で更に今戸の裏長屋をたずねた。この頃の長霖雨《ながじけ》で気味の悪いようにじめじめ[#「じめじめ」に傍点]している狭い露路の奥へはいって、良次郎の家というのを探しあてると、二畳と六畳とふた間の家に五十近い女と、十四五の小娘とが向いあって、なにか他人《ひと》仕事でもしているらしかった。裏店《うらだな》の割には家のなかが小綺麗に片付いているのが半七の眼をひいた。
「あの、早速でございますが、こちらの良次郎さんは唯今どちらへおいででしょうか」
「はい」と、母らしい女は針の手をやめて見返った。「おまえさんはどちらからお出でになりました」
「霊岸島からまいりました」と、半七はすぐ答えた。
「霊岸島から……」と、女は半七の顔をじっと眺めていたが、やがて起って入口へ出て来た。「じゃあ、三島のお店からですか」
「左様でございます」
云い切らないうちに、女は框《かまち》から片足おろして、いきなり彼の袖をつかんだ。
「それはこっちで訊きたいんです、伜はどこに居ります。良次郎はどこにいます」
逆捻《さかね》じを食って少しあわてた半七は、わざと仰山《ぎょうさん》らしく驚いてみせた。
「おかみさん、飛んでもねえことを……。ここの家で知らないで、誰が知っているもんですか」
「いいえ、そうは云わせません。店で良次郎をどこへか隠しているんです。わたしはちゃんと知っています。お嬢さんと駈け落ちをしたなんて、嘘です、嘘に相違ありません。良次郎は御主人の娘をそそのかして淫奔《いたずら》をするような、そんな不心得な人間じゃありません。ここにいるお山《やま》はほんとうの妹じゃありません。もう一、二年経つと彼《あれ》と一緒にする筈になっているんです。そういう者がありながら、そんな不埒なことをするような良次郎じゃございません。第一あんな親孝行の良次郎が親を打っちゃって置いて、どこへか姿をかくす筈がありません。おまえさんの方で隠しているんです。さあ、どこにいるか教えてください」
気違いのような権幕《けんまく》で責めたてられて、半七もいよいよ持て余した。
「まあ、待ってください。成程そんなことがあるかも知れませんが、私はまったく知らないんです。店の方から云い付けられて、ただ正直に出て来ただけのことなんです。じゃあ、良次郎さんはまったくこちらには居ないんですか」
「いませんとも……」と、女は声をうるませながら云った。「自分の方でどこへか隠して置きながら、白ばっくれて探しによこすなんて、あんまり人を馬鹿にしている。いいえ、こっちには確かな証拠があります。見せてあげるからお待ちなさい」
女は奥の仏壇の抽斗《ひきだし》から一通の手紙を持ち出して来て、半七の眼さきへ突きつけた。すぐに受け取ってあけてみると、自分はよんどころない訳があって、三年のあいだは姿を隠している。三年たてばきっと帰ってくるから心配してくれるな。世間ではお嬢さんと駈け落ちしたなどと云い触らすかも知れないが、それにも訳のあることだから、お山にもよく云ってくれ。御主人の為と親の為とで斯《こ》ういうことをするのだから、かならず悪く思ってくれるなと書いてあった。
「この手紙に三十両のお金を付けて、人に頼んでそっ
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