が、これでも左の腕にゃあ忌《いや》な刺青《ほりもの》のある六蔵だ。おれが一旦こう云い出したからにゃあ、忌も応も云わせねえ。おい、良さん、その積りで返事してくれ」
酒の酔も手伝っているらしく、彼の声はだんだんに高くなった。いやな刺青の講釈まで聞きすまして、半七はもういい頃と衝立のこっちから声をかけた。
「もし、大層お賑やかですね」
「どうもお騒々しくってお気の毒さまでございます」と、六蔵という男は答えた。「若い者は道楽をして困りますから、ちっと嚇かしているところですよ」
「お察し申します」と、半七は笑いながら云った。「だが、この頃は世の中がさかさまになって、年寄りのいう方が間違っていることが随分あります。今の一件なんぞはそっちの若い人の云う方が道理《もっとも》らしい。ねえ、良次郎さん。そうでしょう」
名を指されて二人はぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]としたらしい。半七はつづけて云った。
「左の腕になにかいやな刺青があるとかいう小父《おじ》さん。あんまり若けえ者をつかまえて無理を云わねえ方がいい。どうで霊岸島からは縄付きが出るんだ。その道連れを大勢こしらえるのは殺生《せっしょう》だろうぜ」
「な、なんだ」と、六蔵はこっちへ向き直った。「おめえは誰だ」
衝立を押し退けて、半七も向き直った。
「まあ、誰でもいい。おれはこれからお前のあずかっている寮へ行くんだ。案内してくれ」
その口ぶりでもう覚ったらしい、六蔵はあわててふところへ手を入れようとする途端に、半七は飛びかかって其の腕を押えた。六蔵の手は匕首《あいくち》を握ったままで早縄にかかってしまった。蒼くなってすくんでいる良次郎を見かえって、半七はしずかに立った。
「おめえには慈悲を願ってやる。おとなしくして、おれと一緒に来ねえ」
縄付きの六蔵を追い立てて、半七は雨のなかを三島の寮へ行った。良次郎は死んだような顔をして後からぼんやりと付いて来た。びっくりしてうろうろしているお通に指図して、半七は奥の土蔵の戸前をあけさせると、暗い二階から幽霊のような若い美しい女が出た。女は三島のひとり娘のおきわであった。
その明くる日、霊岸島の米問屋三島の店から後家のお糸と番頭の由兵衛が奉行所へ呼び出されて、すぐに入牢《じゅろう》を申し渡された。
三島の主人は四年前に世を去って、後家を立て切れないお糸は由兵衛と不義を働いていると、一
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