していた。花火はなくともきょうは川開きという書入れの物日《ものび》に、彼女はふだん着の浴衣のままで家を飛び出して来たらしかった。
「どうしたんだ。姉さんと何か喧嘩でもしたのか。この頃はもう何か出来たという評判だから、それで姉さんといがみ合ったんじゃあねえか。そんな尻をおれの方へ持って来たって、辻番が違うぜ」と、半七はからかうように相手の顔をのぞくと、お浪は嫣然《にこり》ともしなかった。
「いいえ、お前さん。そんなどころじゃないんですとさ」と、お仙も顔をしかめながら云った。「姉さんが今、番屋に止められたと云って、なあ[#「なあ」に傍点]ちゃんが泣き込んで来たんです。どうしたんでしょうねえ」
「ねえさんが番屋へあげられた」と、半七も団扇《うちわ》の手をやすめた。「なにかお客の引き合いじゃあねえか」
「じゃあ、親分さんはまだ御存じないんですか」と、お浪は眼を拭きながら云った。
「なんにも知らねえ。おめえの家《うち》に何かあったのかえ」
「お父っさんがけさ殺されたんですよ」
 お浪の話によると、けさの六ツ(午前六時)前にお照の家の戸を軽くたたく者があった。朝寝坊の芸妓《げいしゃ》家では、台所に
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