近い三畳で女中のお滝がようよう蚊帳《かや》をはずしているところであった。戸をたたく音を聞きつけて、お滝はすぐに入口へ出て行こうとすると、茶の間の六畳に寝ていたお照の父の新兵衛が蚊帳の中からあわてて呼び止めて、出てはいけない、明けてはいけないと、小声で叱るように云った。叱られてお滝も少しためらっていると、やがて表を叩く音は止んだ。と思うと、今度は裏口の方から跳り込んで来たものがあった。お滝が起きると、すぐに水口《みずくち》の戸を一枚あけて置いたので、得体《えたい》のわからない闖入者は薄暗がりの家の奥へまっしぐらに飛び込んで、新兵衛の蚊帳のなかへ鼠のようにくぐって這入った。年のわかいお滝は呆気《あっけ》に取られて眺めていると、かれは忽ち蚊帳から這い出して来て、もとの水口から駈け出してしまった。まだ起きたばかりで半分寝ぼけているお滝には、何がどうしたのか判らなかった。彼女はしばらく夢のように突っ立っていたが、なんだか少し不安にも思われるので、そっと茶の間へはいって蚊帳の中をのぞいて見ると、新兵衛の寝衣《ねまき》には紅い血が一面に泌み出していた。
腰をぬかさないばかりにびっくりして、お滝は二
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