りましたよ」
老人は昔を偲《しの》び顔に話し出した。
「その二十八日の午《ひる》過ぎでした。いつもの年ならわたくしも子分どもを連れて、両国界隈を見廻らなければならないんですが、今年は川開きも見あわせになったというので、まあ楽ができると思って神田の家に寝ころんでいますと、一人の若い女が駈け込んで来たんです」
女は女房のお仙をつかまえて何か泣きながら話しているらしかったが、やがてお仙に連れられて半七の枕もとへいざり込んで来た。起き直って見ると、それは柳橋のお照という芸妓の妹分で、お浪という今年十八の小綺麗な女であった。
「やあ、浦島が昼寝をしているところへ、乙姫さんが舞い込んで来たね」と、半七は薄ら眠いような眼をこすりながら笑った。「ことしは花火もお廃止だというじゃあねえか。どうも不景気だね。だんだんに世の中が悪くなるんだから仕方がねえ。それでもいつもの日と違うから、茶屋や船宿《ふなやど》はちっとは忙がしかろう」
云いながらよく視ると、柳橋の若い芸妓は島田を式《かた》のごとく美しく結いあげていたが、顔には白粉のあともなかった。自体がすこし腫れ眼縁《まぶち》のまぶたをいよいよ泣き腫ら
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