」と、店で姫糊《ひめのり》を煮ている婆さんが教えた。
「勘次さんは毎日商売に出ていますかえ」
「なんだか知りませんけれども、この十日《とおか》ばかりはちっとも商売に出ないで、おかみさんと毎日喧嘩ばかりしているようです」
「じゃあ、けさも家《うち》にいますね」
「いるでしょうよ。さっきから大きな声をしていましたから」と、婆さんは苦々《にがにが》しそうに云った。
「いや、ありがとう」
 あぶない溝板を渡りながら路地の奥へはいってゆくと、甲走《かんばし》った女の声がきこえた。
「へん、意気地もないくせに威張ったことをお云いでないよ。槍突きぐらいが怖くって、夜のかせぎが出来ると思うのかえ。おまえが盆槍《ぼんやり》で、向うが槍突きなら相子《あいこ》じゃないか。槍突きが出て来たら丁度いいから、富さんと二人でそいつを取っ捉まえて御褒美でもお貰いな、嬶《かかあ》を相手に蔭弁慶をきめているばかりが能《のう》じゃないよ。しっかりおしな」
 このあいだの晩、槍突きに出逢って以来、辻駕籠屋の勘次は怯気《おじけ》づいて商売を休んでいるらしかった。女房の悪態の途切れるのを待って、七兵衛はそっと声をかけた。
「ごめ
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