、あるいはその噂を聞き伝えて面白半分に真似るものが幾人も出来たのか、そんなことも一切判らなかった。一体なんの為にそんな残酷なことをするのか、それも確かな判断が付かなかった。やはり在来の辻斬りと同じように持ち槍の穂の冴えをためすのと、自分の腕の働きを試すのと、この二つであろうとは誰でも思い付くことであるので、江戸じゅうの槍術|指南者《しなんしゃ》やその門人たちが真っ先に眼をつけられたが、その方面では取り留めた手がかりもなかった。さりとて、それが普通の物取りでないことは判っているので、どうも其の理由を発見するのに苦しめられた。なにかの心願があって、千人の人間を突くのだという説もあった。又は戌年《いぬどし》の人に限って突くのだという説もあったが、かの延寿太夫は酉年《とりどし》の生まれで戌年ではなかった。なんにしても自由自在に槍を使う以上、それが町人や百姓とも思われないので、武家や浪人どもが注意の眼を逃がれることは出来なかった。七兵衛もやはりそう見ている一人であった。
十月六日の朝は陰《くも》っていた。もう女房のない七兵衛は雇い婆のお兼に云った。
「老婢《ばあや》、どうだい、天気がおかしくなったな」
「なんだか時雨《しぐ》れそうでございます」と、お兼は縁側をふきながら薄暗い初冬の空をみあげた。「今晩からお十夜《じゅうや》でございますね」
「そうだ、お十夜だ。十手とお縄をあずかっている商売でも、年をとると後生気《ごしょうぎ》が出る。お宗旨じゃあねえが、今夜は浅草へでも御参詣に行こうかな」
「それが宜しゅうございます。御法要や御説法があるそうでございますから」
「老婢と話が合うようになっちゃあ、おれももうお仕舞いだな。はははははは」
元気よく笑っているところへ、子分のひとりが七兵衛の居間へ顔を出した。
「親分、禿岩《はげいわ》がまいりました。すぐに通してやりますか」
「むむ。なにか用があるのかしら。まあ、通せ」
小|鬢《びん》に禿のある岩蔵という手先が鼻の先を赤くしてはいって来た。
「お早うございます。なんだか急に冬らしくなりましたね」
「もうお十夜だ。冬らしくなる筈だ。寝坊の男が朝っぱらからどうしたんだ」
「早速ですが、例の槍突き……。あれで妙なことを聞き込んだので、ともかくもお前さんの耳に入れて置こうと思ってね」と、岩蔵は長火鉢の前に窮屈そうにかしこまった。「ゆうべの
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