五ツ(午後八時)少し過ぎに蔵前《くらまえ》でまた殺《や》られた」
「むむ」と、七兵衛も顔をしかめた。「仕様がねえな。殺られたのは男か女か」
「それがおかしい。もし、親分。浅草の勘次と富松という駕籠屋が空《から》駕籠をかついで柳原の堤《どて》を通ると、河岸の柳のかげから十七八の小綺麗な娘が出て来て、雷門までのせて行けと云う。こっちも戻りだからすぐに値ができて、その娘を乗せて蔵前の方へいそいで行くと、御厩河岸《おんまやがし》の渡し場の方から……。まあ、そうだろうと思うんだが、ばたばたと早足に駆け出して来た奴があって、暗やみからだしぬけに駕籠の垂簾《たれ》へ突っ込んだ。駕籠屋二人はびっくりして駕籠を投げ出してわあっ[#「わあっ」に傍点]と逃げ出した。が、そのままにもして置かれねえので、半町ほども逃げてから、また立ち停まって、もとのところへ怖々《こわごわ》帰って来てみると、駕籠はそのまま往来のまん中に置いてあるので、試《ため》しにそっと声をかけると、中じゃあなんにも返事をしねえ。いよいよやられたに相違ねえと、駕籠屋は気味わるそうに垂簾をあげて見ると、中には人間の姿が見えねえ。ねえ、おかしいじゃありませんか。それから提灯の火でよく見ると大きい黒猫が一匹……。胴っ腹を突きぬかれて死んでいるので……」
「黒猫が……。槍に突かれていたのか」
「そうですよ」と、岩蔵も顔をしかめながらうなずいた。「何のわけだか、ちっともわからねえ。娘はどこへか消えてしまって、大きい黒猫が身がわりに死んでいるんです。どう考えても変じゃありませんか」
「すこし変だな。どうして猫と娘とが入れ換わったろう」
「そこが詮議物ですよ。駕籠屋の云うには、どうもその娘は真《ま》人間じゃあねえ、ひょっとすると猫が化けたんじゃねえかと……。成程このごろは物騒だというのに、夜鷹《よたか》じゃあるめえし、若い娘が五ツ過ぎに柳原の堤をうろうろしているというのがおかしい。化け猫が娘の姿をして駕籠屋を一杯食わそうとしたところを、不意に槍突きを食ったもんだから、てめえが正体をあらわしてしまったのかも知れませんね」
「そうよなあ」と、七兵衛は苦笑《にがわら》いした。「まあ、そうでも云わなければ理窟が合わねえが、なにしろ変な話だな。で、その娘は美《い》い女だと云ったな。面《つら》をむき出しにしていたのか」
「いいえ、頭巾《ずきん》をかぶ
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