で、長い竹の継竿《つぎざお》を持っていたが、その竿にたくさんの鳥黐《とりもち》が付いているのを見て、それが鳥さしであることを半七はすぐに覚った。彼は時々ここへ来ると見えて、蕎麦屋の夫婦とも懇意であるらしく、たがいに馴れなれしくなにか挨拶していた。狭い店であるから、彼は半七のすぐ前に腰をおろして、濡れた笠をぬぎながら会釈した。
「悪いお天気ですね」
「そうでございます」と、半七も会釈した。「とりわけお前さん方はお困りでしょう」
「まったくですよ。黐をぬらしてしまうのでね」と、鳥さしは腰につけていた鳥籠を見返りながら云った。
「おまえさんは千駄木ですか、それとも雑司ヶ谷ですかえ」
「千駄木の方ですよ」
 徳川家の御鷹所は千駄木と雑司ヶ谷の二カ所にある。鳥さしはそれに付属する餌取《えと》りという役で毎日市中や市外をめぐって、鷹の餌にする小雀を捕ってあるくのである。鷹のゆくえを詮議している折柄に、あたかも鳥さしに出合って、しかもそれが千駄木であるということが何かの因縁であるように思われたが、勿論、この鳥さしはお鷹紛失のことを知らないに相違ない。うっかりしたことをしゃべって善いか悪いかと、半七はしばらく躊躇していた。鳥さしはもう五十を二つも三つも越えているらしいが、背の高い、色の黒い、見るからに丈夫そうな老人であった。
 鳥さしはかけ蕎麦を註文して食った。半七も自分のまえに運ばれた膳にむかって、浅草紙のような海苔《のり》をかけた蕎麦を我慢して食った。そのいかにも不味《まず》そうな食い方を横目に視て、鳥さしの老人は笑いながら云った。
「ここらの蕎麦は江戸の人の口には合いますまいよ。わたし達は御用ですからここらへも時々廻って来るので、仕方無しにこんなところへもはいりますが、それでも朝から駈けあるいて、腹が空いている時には、不思議に旨く食えますよ。ははははは」
「そうですね。江戸者は詰まらない贅沢《ぜいたく》を云っていけませんよ」
 こんなところから口がほぐれて、半七と鳥さしとは打ち解けて話し出した。外の雨はまだ止まないので、二人は雨やどりの話し相手というような訳で、煙草を喫《す》いながらいろいろの世間話などをしているうちに、半七はふと思い出したように訊いた。
「おまえさんは千駄木だと仰しゃるが、御組ちゅうに光井さんという方《かた》がありますかえ」
「光井さんというのはあります。弥左衛門さんに金之助さん、どちらも無事に勤めていますよ。おまえさんは御存じかね」
「その金之助さんというお方に一度お目にかかったことがありました。まだ若い、おとなしいお方で……」と、半七はいい加減に答えた。
「はあ、おとなしい人ですよ」と、老人はうなずいた。「組中でも評判がいいので、ゆくゆくはお役付きになるかも知れません」
 その金之助がまかり間違えば切腹の大事件を仕でかしていることを、鳥さしの老人は夢にも知らないらしかった。それからだんだん話して見ると、この老人は光井金之助という若い鷹匠に対してよほどの好意をもっているらしく、しきりに彼の出世を祈るような口ぶりであった。由来、鷹匠と餌取りとは密接の関係をもっている職務でありながら、その折り合いがどうもよくないもので、餌取りに褒《ほ》められる鷹匠はあまり多くない。その餌取りの老人がしきりに金之助を褒める以上、双方のあいだに特別の親しみがあるらしく察せられたので、半七はむしろこの老人を語らって自分の味方に引き入れようかとも考え付いた。
「おまえさんはけさ早くに千駄木をお出かけになりましたかえ」
「六ツ半頃に出ました」と、鳥さしの老人は答えた。
「それじゃあ光井さんのことをなんにも御存知ないんですか」と、半七は小声で云った。
「光井さんがどうかしましたか」
「これはここだけのお話ですが、光井さんはけさお鷹を逃がしたので……」
 老人の顔色は俄かに変った。
「それはどこで逃がしたのです」
「品川の丸屋という家の二階で……」
「丸屋で……」と、老人はいよいよ其の顔をしかめた。
 鷹を逃がした前後の事情を聞かされて、老人は太息《といき》をついていた。かれは殆ど途方に暮れたように其の首をうなだれたまま、しばらくは何にも云わなかった。その苦労の色があまりに甚だしいので、半七も少しく意外に感じた。普通の親しみというのを通り越して、この老人と若い鷹匠とのあいだには、なにか特別の関係があるのではないかと疑った。
 この時に、裏口から若い女がはいって来て、ぬれた袂《たもと》や裾を釜前で乾かしていた。半七はふと見ると、それはさっき川端で出逢った二人の女のひとりで、どこをどう廻って来たのか、たった今ここの家へ戻ったらしい。年のころは二十歳《はたち》ばかりで、色の白い、小肥りにふとった、憎気のない娘であった。かれは半七と顔を見あわせて無言で会釈し
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