た。
「たびたびお目にかかるね」と、半七は笑った。「おまえはここの家《うち》の娘さんかえ」
「はい」と、娘は初めて口をきいた。「あの、名主さんの家は知れましたか」
「知れた。知れた」
 この話し声で気がついたらしく、鳥さしの老人は思わず顔をあげて娘の方を見かえると、娘は老人に向っても無言で会釈した。しかも老人と顔を見あわせて、娘の眼の色が俄かに変ったらしいのを、半七は決して見逃がさなかった。
 老人は再び首を垂れてしまったが、娘はやはり嶮《けわ》しい眼をして老人をじっと眺めていた。

     三

 娘は仔細ありげな眼をして老人をうかがっている。老人は首を垂れて黙っている。そこにどんな事情が忍んでいるかを半七も容易に想像することは出来なかったが、とにかくに老人の苦労があまり大きそうなので、半七も黙っているわけには行かなくなって、小声で彼を励ますように云った。
「ねえ、おまえさん。もうこうなったらお互いに考えていても仕方がありません。わたしは神田三河町の半七という御用聞きで、実は八丁堀の旦那から内密にその詮議を云い付けられているんです。お前さんは光井さんと心安いようではあるし、犬も朋輩、鷹も朋輩、いわば朋輩同士のことだから、なんとかわたしに手伝って、そのお鷹を早く見つけ出す工夫をしてくれませんか。逃がした鳥さえ無事に探し出せば、そこは何とでも穏便に済むだろうじゃありませんか。ねえ、そうでしょう」
「そうです、そうです」と、老人は力を得たようにうなずいた。「それよりほかにしようはありますまい。わたしに出来ることならば何でも手伝いをいたしますから、どうぞ一刻《いっとき》も早くそのお鷹を探し出してください。わたしからもくれぐれもお願い申します」
「おまえさんが手伝ってくだされば、蛇《じゃ》の道は蛇《へび》で、わたしの方でも大変に都合がいい。いい塩梅《あんばい》に雨も大抵やんだようだから、そろそろ出かけながら相談しようじゃありませんか」
 半七は鳥さしの分も一緒に勘定を払って出ると、老人はひどく気の毒そうに礼を云いながら半七のあとに付いて出て来た。鳥さしも鷹匠とおなじことで、ふだんは御用を嵩《かさ》にきて、かなり大面《おおづら》をしているものであるが、この場合、かれは半七の救いを求めるように至極おとなしく振舞っていた。二人は雨あがりの田舎道をひろいながら歩いた。
「おまえさん、あの蕎麦屋の娘を知っていなさるのかえ」と、半七はあるきながら訊いた。
「はあ、時々あすこの家《うち》へ寄りますので、夫婦や娘とも心安くして居ります。娘はお杉といって、この間まで奉公に出ていたのでございますよ」
「もう二十歳《はたち》ぐらいでしょうね」
「左様だそうです。当人はもう少し奉公していたいと云うのを無理に暇を取らせて、この春から家へ連れて来たのですが、やはり長し短しで良い婿がないそうで、いまだに一人でいるようでございます」
「どこに奉公していたんです」
「雑司ヶ谷の吉見仙三郎という御鷹匠の家にいたのだそうです。そんな訳で、わたしとは特別に心安くしているのですが……」
「その吉見というのは幾つぐらいの人ですね」
「二十三四にもなりましょうか」
「独り身ですかえ」
「組が違うのでよく知りませんが、もう御新造《ごしんぞ》がある筈です。そうです、そうです。御新造様があると、あのお杉が話したことがありました。吉見さんには時々逢うこともありますが、色のあさ黒い、人柄のいい、なかなか如才《じょさい》ない人です。そのかわり随分道楽もするそうですが……」
「そうですか」と、半七は一々うなずきながら聴いていた。「あの娘は何年ぐらい吉見さんに奉公していたんですえ」
「なんでも十七の年から奉公していたとかいうことです」
「雑司ヶ谷の組の人たちも目黒のほうへお鷹馴らしに出て来ますかえ」
「ときどきに出て来ます」と、老人は答えた。
 半七はしばらく立ち停まって思案していたが、やがて左右を見かえってささやいた。
「おまえさん。御苦労だが、もう一度あの蕎麦屋へ引っ返してくれませんか」
「はあ」と、老人は不審そうに半七の顔を見た。「なにか、忘れ物でも……」
「さあ、どうも大きな忘れ物をして来たらしい」と、半七はほほえんだ。「おまえさんの鳥籠にはまだ三匹しかはいっていませんね」
「けさは遅く出て来たものですから、まだ一向に捕れません」
「むむ、三匹でもいいが、そうですね、もう二、三匹捕れませんかえ」
「今はここらにたくさん寄る時分ですから、二羽や三羽はすぐに捕れます」
「じゃあ、済みませんが、そこらへ行って二、三匹さして来てくれませんか。なるべく多い方がいい」
 老人はその意味を解《げ》し兼ねたらしいが、云われるままに承知して、竹竿のぬれた黐《もち》を練り直していると、しぐれ雲はもう通り過
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