いうのである。勿論、手形には主人のほか家来何人としるしてあるが、荷物が多くなったので臨時に荷かつぎの人間を雇ったといえば、大抵無事に通過することを許されていた。殊に御用の道中などをする者に対しては、関所でも面倒な詮議をしなかった。この男もそれを知っていて、あしただけの供を七蔵に頼んだのであった。
大方そんなことであろうと、七蔵も最初から推量していたので、彼はその男から三分の銭《ぜに》を貰ってすぐに呑み込んで、あしたの明け六ツまでに本陣へたずねて来るように約束して、彼はその男と別れた。こういうことは武家の家来が一種の役得《やくとく》にもなっていたので、よほど厳格な主人でない限りはまず大眼《おおめ》に見逃がしておく習いになっていた。殊に七蔵の主人の市之助はまだ若年《じゃくねん》であるので、勿論そんなことは家来まかせにして置いた。
あくる朝になると、その男は約束の通りに来た。
「わたくしは喜三郎と申します。なにぶん願います」
彼は市之助のまえにも挨拶した。そうして、型ばかりの荷物をかつがせて貰って、かれは市之助主従のあとに付いて出た。彼はなかなか旅馴れているとみえて、峠へのぼる間もいろいろの道中の話などを軽口《かるくち》にしゃべって、主従の疲れを忘れさせた。市之助も彼を面白い奴だと云った。
無事に関所を越えて小田原の駅につくと、喜三郎は今夜も一緒に泊めてくれと云った。かれは主従を立場《たてば》に休ませて置いて、自分ひとりが駈けぬけて駅へはいったが、やがて又引っ返して来て、今夜は本陣にふた組の大名が泊っている。脇本陣にも一と組とまっている。そんな混雑の宿へ泊るよりも普通の旅籠屋へ泊った方が静かでよかろう。自分は松屋という宿を識っているから、そこへ御案内したいと云った。
いくら御用の道中でも、本陣に泊るのは少し窮屈である。本陣に泊っては女を呼ぶわけにもゆかない。酔って騒ぐわけにもゆかない。箱根を越せばもう江戸だと思うにつけても、窮屈な本陣の古ぼけた屋敷に押し込まれるよりも、普通の小綺麗な旅籠屋に泊って、ゆっくりと手足をのばして旨《うま》い酒でも飲みたいと七蔵は思った。すこし渋っている主人を無暗にそそり立てて、彼は喜三郎が知っているという普通の旅籠屋に泊ることに決めさせて、三人はその松屋にはいった。
「失礼でございますが、今夜はわたくしが山祝いをいたしましょう」と、喜
前へ
次へ
全12ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング