うがそうぞうしいようだ。火事か、どろぼうか、起きてみろ」
多吉は寝衣《ねまき》のままで蚊帳《かや》をくぐって出て、すぐに二階を降りて行ったが、やがて又あわただしく引っ返して来た。
「親分。やられた。人殺しだ」
半七も起き直った。多吉の話によると、裏二階に泊った駿府《すんぷ》(静岡)の商人《あきんど》の二人づれが何者にか殺されて、胴巻の金を盗まれたというのであった。一人は寝ているところを一と突きに喉を刺されたのである。そうして、その蒲団の下に入れてあった胴巻をひき出そうとする時に、となりに寝ている連れの男が眼をさましたので、これもついでに斬り付けたらしく、その男は寝床から少し這い出して、頸すじを斜めに斬られて倒れていた。
「役人が来て、もう調べています。なんでも外からはいったものじゃないらしいと云っていますから、いずれここへも調べにくるでしょう」と、多吉は云った。
「ひどいことをする奴だな」と、半七は首をかしげて考えていた。「なにしろ調べに来るまでは無暗に動いちゃあならねえ。まあ差し当ってはじっとしていろ」
「そうですね」
二人は床のうえに坐って待っていると、廊下を急いで来る足音がこの座敷のまえに止まって、だしぬけに障子をがらりとあけて這い込んで来た者があった。彼は蚊帳の外から声をかけた。
「大哥《あにい》。多吉の大哥。すまねえが助けてくれ」
「誰だ」と、多吉はうす暗い行燈《あんどう》の火で蚊帳越しに透かしてみると、それは廊下でさっき出逢った男であった。彼は二十八九で、色のあさ黒い、小じっかりとした男で、ひどくあわてたように息をはずませていた。
「わっしだ、小森の屋敷の七蔵だ。おめえにはちっと義理の悪いことがあるもんだから、さっきは知らねえ顔をして悪かった。後生《ごしょう》だ、なんとか助けてくれ」
名乗られて、多吉もようよう思い出した。かれは下谷の小森という与力の屋敷の中間で、ふだんから余り身状《みじょう》のよくない、方々の屋敷の大部屋へはいりこんで博奕《ばくち》を打つのを商売のようにしている道楽者であった。去年の暮、あるところで彼は博奕に負けて、寒空に素っ裸にされようとするところへ、ちょうど多吉が行きあわせて、可哀そうだと思って一分二朱ばかり貸してやった。七蔵はひどく喜んで、大晦日《おおみそか》までにはきっと多吉の家《うち》までとどけると固く約束して置きなが
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