めえ。おれはこれから玄庵さんのところへ行ってくるから、着物を出してくれ」
箸をおくと、すぐに着物を着かえて、半七は傘を持って表へ出ると、雨はまだ未練らしく涙を降らしていたが、だんだん剥《は》げてくる雲のあいだからは薄い日のひかりが柔《やわら》かに流れ出して来た。近所の屋根では雀の鳴く声もきこえた。玄庵は町内に住んでいる町医者で、半七はかねて心安くしているので、参考のためにまずそれをたずねて、口中の病気についていろいろの容態や療治法などを聞きただした上で、さらに相生町の徳蔵の家《うち》をたずねてゆくと、柳原|堤《どて》へ差しかかる頃に空はまったく明るくなって、ぬれた柳のしずくが光りながらこぼれているのも春らしかった。
両国橋を渡って本所へはいると、徳蔵の家は相生町二丁目にあった。間口は狭いが、ともかくも表店で、きょうは勿論商売を休んでいるらしかった。近所の荒物屋できくと、徳蔵はお留という女房と二人ぐらしで、徳蔵が盤台をかついで商売に出た留守は、お留が店の商いをしているのであった。亭主もよく稼ぎ、女房もかいがいしく働くので、小金は溜めているらしい。あの人達は今に身上《しんしょう》を仕出
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