を越して耳も眼もうとく、小女はいっこう役に立たないので、その秘密を誰もさとらなかったのであろう。そのうちに恐るべき宵節句の日が来た。
 その日、お此はいつものように六畳の部屋で針仕事をしていると、徳次郎も店の隙を見ていつものように忍んで来た。或いは使にゆく振りをして出て来たのかも知れない。かれは抜き足をして庭口から縁先へ忍び寄って、おそらく咳払いくらいの合図をしたであろうが、内には見す見すお此の坐っている気配がしていながら、わざと焦《じ》らすように返事をしなかったので、彼は縁側へ這いあがって、閉め切ってある障子の紙を舌の先で嘗《な》めて破って、その穴から内を覗《のぞ》こうとした。それは子供のよくするいたずらである。ませているようでもまだ十六の彼は、冗談半分にこうして障子の紙をやぶった時に、内からそれを見ていたお此は、これも冗談半分に、自分の持っている縫い針でその舌の先をちょいと突いた。勿論、軽く突いたのであろうが、時のはずみで針のさきが案外に深く透《とお》ったので、内でも外でもおどろいた。しかし元来が秘密の事件であるから、徳次郎は思い切って声を立てることも出来なかった。
 それでも針のさきで突いたのであるから、たとい一時の痛みを感じても、それが恐ろしい大事になろうとは、本人もお此も更に思い付かなかった。なにか血止めの薬でも塗って置いて、その場はそのままに済ませたのであるが、あいにくその針のさきには人の知らない一種の悪い毒が付いていたらしく、店へ帰ってから徳次郎の傷ついた舌のさきが俄かに強く痛み出して、遂に不運な美少年を死に誘ったのであろう。これは医者の玄庵から教えられた予備知識に、半七自身の推断を加えた結論であった。その苦しみのあいだに、彼はまったく口をきくことが出来ないのでもなかったかも知れないが、そこに秘密がひそんでいるために、彼はわざと口を閉じていたのかも知れない。宿へ下がって、いよいよ最期《さいご》の日が近づいたと自覚した時、兄や嫂《あね》にいろいろ問い迫られて、彼はとうとう、その秘密を洩らしたのかも知れない。お此さんに殺されたという一句は、おそらく彼のいつわりなき告白であろう。
 お此の部屋の障子を切り貼りさせたというのも、この事実を裏書きするものである。下から三、四段目の小間といえば、あたかも彼が縁側へ這いあがって首をもたげたあたりに相当する。殊にその翌
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