日、猫のいたずらと云って貼り換えさせた障子のやぶれは、徳次郎という白猫のいたずらの跡であろう。舌のさきで濡らして破ったのを、更に大きく引き裂いて猫の罪になすり付けるぐらいのことは、二十七八の女でなくても、思いつきそうな知恵である。こう煎じつめてみると、徳次郎の兄が山城屋へ捻《ね》じ込んで来るのも、間違ったことではないらしく思われる。勿論、一方は主人、一方は家来で、しかもそれが他愛もない冗談から起ったわざわいである以上、たとい表沙汰になったところで、お此に重いお咎めの無いのは判っているが、それからひいて徳次郎との秘密も自然暴露することになるかも知れない。さなきだに種々の噂をたてられている娘が、いよいよ瑕物《きずもの》になってしまわなければならない。山城屋の暖簾《のれん》にも疵が付かないとも云えない。また人情としても、徳次郎の遺族にそのくらいの贈り物をしてやってもよい。それが半七の意見であった。
 利兵衛は息をつめて聴いていたが、やがて溜息まじりに云い出した。
「親分さん。恐れ入りました。そう仰しゃられると、わたくしの方にも少し思いあたることがございます」

     四

「なにか心当りがありますかえ」
 半七は利兵衛の暗い顔をのぞきながら訊くと、今度は彼の語る番になった。
「実は去年の冬でございました。隠居が風邪《かぜ》をひいて半月ばかり臥せっていたことがございます。その看病に手が足りないので、店の方から小僧を一人よこしてくれと云うことでしたから、あの音吉をやりましたところが、あれは横着でいけないというので一日で帰されまして、その代りに徳次郎をやりますと、今度は大層お此さんの気に入りまして、病人の起きるまで隠居所の方に詰め切りでございました。その後もなにか隠居所の方に用があると、いつでも徳次郎をよこせと云うことでしたが、前のことがありますので別に不思議にも思っていませんでした。正月の藪入りの時にも、お此さんから別にいくらか小遣《こづか》いをやったようでした。それからこの二月の初め頃でございました。夜なかに庭口の雨戸を毎晩ゆすぶる者があるといって、小女のお熊が怖がりますので、店の方でも心配してお此さんに訊いてみますと、それはお熊がなにか寝ぼけたので、そんなことはちっとも無いと堅く云い切りましたから、こちらでも安心してその儘にいたしてしまいましたが、今となってそれやこれ
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