たか。おい、おい、音吉」
 二、三間も先に立ってゆく小僧を呼び戻して、利兵衛は訊いた。
「このあいだ隠居所の障子を切り貼りに行ったのは、お前じゃなかったか」
「わたくしです」と、小僧は答えた。「お此さんがいつも仕事をしている六畳の障子です。なんでも猫がいたずらをしたとかいうことで、下から三、四段目の小間《こま》が一枚やぶけていました」
「いつ頃だか、その日をたしかに覚えていないかえ」と、半七は訊いた。
「おぼえています。お節句の日でした」
 半七はまたほほえんだ。それぎりで三人は黙ってあるいた。
 そのうちに深川の寺へゆき着いたが、葬式は極めて簡単なものであった。山城屋から三両という送葬《とむらい》料を取って置きながら、こんな投げ込み同様のことをするとは随分ひどいやつだと半七は思った。葬列の着くまえに近所の者が二、三人先廻りをしていて、徳蔵に手伝って何かの世話をやいていたが、そのなかの一人が半七を見て丁寧に挨拶した。
「やあ、神田の親分。おまえさんも見送りに来て下すったのですかえ。路の悪いのにどうも恐れ入りました」
 それは浅草に住んでいる伝介という男であった。三十二三の小作りの男で、表向きの商売は刻み煙草の荷をかついで、諸屋敷の勤番部屋や諸方の寺々などへ売りあるいているのであるが、それはほんの世間の手前で、実は小博奕《こばくち》などを打っている無頼漢《ならずもの》であることを半七は知っていた。堅気《かたぎ》に見せかけても何となくうしろ暗いところがあるので、彼は半七にむかっては特別に腰を低くして、しきりに如才なく挨拶していた。飛んだところで忌《いや》な奴に逢ったとは思いながら、半七はまずいい加減にあしらっていると、伝介は茶を汲んで来て小声で訊いた。
「親分も徳蔵の家《うち》を御存じなんですかえ」
「いや、兄貴は知らねえが、弟の方は山城屋さんにいる時から知っているので、きょうは見送りに来たのさ。なにしろ若けえのに可哀そうなことをしたよ」
「そうでございますよ」と、伝介はなんだか腑《ふ》に落ちないような顔をしていた。
「おまえもこうして働いているようじゃあ、徳蔵とよっぽど心安くしていると見えるな」
「ええ。ときどき遊びに行くもんですから」と、伝介はあいまいな返事をしていた。
 葬式が済んで寺の門を出ると、この頃の春の日はもう暮れかかっていた。帰るときに会葬者は式《かた》
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