寒さは眼に泌みるようであった。又蔵は定紋付きの提灯をふり照らして先に立った。三人の草履は暁の霜を踏んで行った。
 水道橋を渡っても、冬の夜はまだ明けなかった。蒼ざめた星が黒い松の上に凍り着いたように寂しく光って、鼠色の靄につつまれたお茶の水の流れには水明かりすらも見えなかった。ここらは取り分けて霜が多いと見えて、高い堤《どて》の枯れ草は雪に埋められたように真っ白に伏して、どこやらで狐の啼く声がきこえた。三人は白い息を吐きながら堤に沿うてのぼってくると、平助は霜にすべる足を踏みこらえるはずみに新らしい草履の緒を切ってしまった。
「これは困った。又蔵、燈火《あかり》を見せてくれ」
 中間の提灯を差し付けさせて、平助は堤の裾にしゃがんで草履の緒を立てていた。どうにかこうにかつくろってしまって、さて振り返って見ると、そばに立っているはずの大三郎の姿がどこかへか消えてしまったのである。二人はおどろいた。子供のことであるから、あるいは自分たちを置き去りにして先に行ったのかとも思ったので、二人は若さまの名を呼びながら後を追ったが、半町ほどの間にそれらしい影は見えなかった。いくら呼んでも返事はなかった
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