りが大勢一度に寄り合うのであるから、控え所のさわぎは一と通りでないのを、勤番支配の役人どもが叱ったり賺《すか》したりして辛くも取り鎮めているのである。子供たちは身分に応じて羽二重の黒紋付の小袖を着て、御目見《おめみえ》以上の家の子は継※[#「ころもへん+上」、第4水準2−88−9]※[#「ころもへん+下」、第4水準2−88−10]《つぎがみしも》、御目見以下の者は普通の麻※[#「ころもへん+上」、第4水準2−88−9]※[#「ころもへん+下」、第4水準2−88−10]を着けていた。
角右衛門の主人の伜杉野大三郎もことし十三で吟味の願いを出した。大三郎は組中でも評判の美少年で、黒の肩衣《かたぎぬ》に萠黄《もえぎ》の袴という継※[#「ころもへん+上」、第4水準2−88−9]※[#「ころもへん+下」、第4水準2−88−10]を着けた彼の前髪姿は、芝居でみる忠臣蔵の力弥《りきや》のように美しかった。大身《たいしん》の子息であるから、かれは山崎平助という二十七歳の中小姓《ちゅうごしょう》と、又蔵という中間とを供につれて出た。裏四番町の屋敷を出たのは当日の七ツ(午前四時)を少し過ぎた頃で、尖った
前へ
次へ
全34ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング