青年がたんぽ槍を掻い込んでいるのもあった。これには又蔵もぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]とした。さりとて今更あやまるのも業腹《ごうはら》だと思ったので、かれは幼い主人を引き摺って一生懸命に逃げ出した。追いかけて来た子供たちは杉野の門前で口々に呶鳴った。
「おぼえていろ。素読吟味のときにきっと仕返しをするぞ」
 玄関へ転《ころ》げこんだ大三郎の顔色はまっ蒼であった。それが奥方の耳にもきこえたので、彼女の尖った神経はいよいよふるえた。かの子供たちはみな来月の素読吟味に出るのである。由来聖堂の吟味に出た場合に、大身の子と小身の子はとかくに折り合いが悪い。大身の子は御目見《おめみえ》以下の以下をもじって「烏賊《いか》」と罵ると、小身の方では負けずに「章魚《たこ》」と云いかえす。この烏賊と章魚との争いが年々絶えない。ある場合には掴みあって、係りの役人や附き添いの家来どもを手古摺らせることも往々ある。双方が偶然に出逢ってもそれであるのに、ましてや相手が意趣を含んで、最初からその仕返しをする覚悟で待ち構えていられては堪まらない。いつの吟味の場合でも、大身の章魚組は少数で、小身の鳥賊組が多数であるのは判り
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