、次郎八という男の家を探し当ててその話をして聞かせると、夫婦ともにびっくりしていました。それからすぐに次郎八をつれて行って、黒沼の屋敷の用人に引きあわせると、用人も大安心で死骸を引き渡してくれました。死骸はたしかに次郎八の娘で、もう一と足遅いと寺へ送られてしまうところでした。勿論、普通の探索物と違いますから、この一件ばかりは確かにこうと突き留めるわけには行きませんが、どうもこれよりほかには鑑定の付けようがないので、娘は鷲にさらわれたものと決まってしまいました。これは広重の絵のおかげで、なにが人間の助けになるか判りません。その広重は大コロリで、その年の秋に死にました」
三
こんな話をしているうちに、二人はいつか三囲《みめぐり》を通りすぎていた。堤《どて》はもう葉桜になって、日曜日でも雑沓していないのが、わたし達に取っては却って仕合わせであった。わたしは息つぎに巻煙草入れを袂から探り出して、そのころ流行った常磐《ときわ》という紙巻に火をつけて半七老人に一本すすめると、老人は丁寧に会釈して受け取って、なんだかきな臭いというような顔をしながら口のさきでふかしていた。
「どこかで
前へ
次へ
全40ページ中21ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング