袖摺《そですり》稲荷の話も出た。それからだんだんに花が咲いて、老人はとうとう私に釣り出された。
「いや、まったく昔はいろいろ不思議なことがありましたよ。その袖摺いなりで思い出しましたが……。まあ、あるきながら話しましょう」

 これは安政五年の正月十七日の出来事である。浅草|田町《たまち》の袖摺稲荷のそばにある黒沼孫八という旗本屋敷の大屋根のうえに、当年三、四歳ぐらいの女の子の死骸がうつ伏せに横たわっていたが、屋根のうえであるから屋敷の者もすぐには発見しなかった。かえって隣り屋敷の者に早く見つけられて、黒沼家でも初めてそれを知って騒ぎ出したのは朝の五ツ(午前八時)を過ぎた頃であった。足軽と中間《ちゅうげん》が長梯子をかけて、朝霜のまだ薄白く消え残っている大屋根にのぼって見ると、それはたしかに幼い女の児で、服装《みなり》も見苦しくない。容貌《きりょう》も醜《みにく》くない。ともかく担ぎおろして身のまわりをあらためたが、彼女は腰巾着を着けていなかった。迷子札《まいごふだ》も下げていなかった。したがって、何処の何者だかを探り出す手がかりも無いので、皆もしばらく顔を身合わせていた。
 彼女の身
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