の前で止まった。ここでも又何かささやいているようであったが、二つの影はやがて離れて、女は門のなかへ消えた。

     四

 男はどうするかと見ていると、彼はまた引っ返して元来た方角へ歩き出そうとして、自分のあとを尾けて来た半七とちょうど向い合った。一本路をすれ違って行こうとする彼を、半七は追うように呼び止めた。
「おい、あにい、寅|大哥《あにい》」
 寅松は黙って立ち停まった。
「おめえ、久しく顔を見せねえじゃあねえか。どこに引っ込んでいたんだ」と、半七は続けて馴れ馴れしく声をかけた。
「おめえは誰だ」と、寅松は薄暗いなかで用心深そうに透かして視た。
「まあ、誰でもいいや。孔雀長屋の二階で二、三度逢ったことがあるんだ」
「嘘をつけ」と、寅松は身構えをしながら云った。「てめえは今、そこの蕎麦屋にいた野郎だろう。どうも面《つら》付きが気に食わねえと思った。田町の重兵衛の子分にてめえのような面を見たことはねえ。てめえ達の食い物になる俺じゃあねえ。おれを連れて行きたけりゃあ重兵衛を呼んで来い」
「大哥、ひどく威勢が好いな」と、半七はあざわらった。「まあ、なんでもいいから其処までおとなしく来
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