であった。
「お時さん。いけませんよ。きょうはこれから廓《なか》にお約束があるんですから、まあ堪忍しておくんなさいよ」と、按摩は逃げるように振り切って行こうとするのを、お時という女はまた曳き戻した。
「それじゃああたしが困るんだからさ。按摩さんはほかにも大勢あるけれども、花魁はお前さんが御贔屓《ごひいき》で、ほかの人じゃあいけないと云うんだから、素直に来てくれないと、あたしが全く困るんだよ」
「御贔屓にして下さるのはまことにありがたいことで、いつもお礼を申しているのでございますが、きょうは何分にも前々からのお約束がありますので……」
「嘘をおつきよ、お前さんは此の頃毎日そんなことを云っているんだもの。花魁だってあたしだって本当に思うかね。ぐずぐず云ってないで早く来ておくれよ。焦《じ》れったい人だねえ」
「でも、いけませんよ。まったくきょうばかりは堪忍して下さい」
 どっちもなかなか強情で、容易に埒が明きそうにもなかった。しかし格別に面白そうな事件でもないので、半七は好い加減に聞き流して通り過ぎた。雪は景色ばかりで、家へ帰りつく頃には歇《や》んでしまったが、それから陰った日が二日ほどつづ
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