やかされたのは、町内の煙草屋のお咲という今年十七の娘であった。お咲は本所の親類へ行って、六ッ半(午後七時)頃に帰って来ると、冬の日はとうに暮れてしまって、北風が軽い砂を転がして吹いてゆくのが夜目にも白く見えた。このごろ不思議の多い自分の町内へ近づくにしたがって、若い娘の胸は動悸を打った。もっと早く帰ればよかったと悔みながら、お咲は俯向いて両袖をしっかりと抱きあわせて、小刻みに足を早めて歩いて来ると、うしろから同じく刻み足に尾《つ》けて来るような軽いひびきが微かにきこえた。お咲は水を浴びたようにぞっ[#「ぞっ」に傍点]としたが、とても振り返って見る勇気はないので、すくみ勝ちの足を急がせて、ようよう自分の町内の角を曲がったかと思うと、あたかも白い砂が渦をまいてお咲の足もとから胸のあたりまで舞いあがって来たので、彼女は両袖で思わず顔をおさえたその途端に、うしろから尾けて来たらしい怪しいものは、旋風《つむじかぜ》のように駈け寄って来てお咲を突き飛ばした。
 娘の悲鳴を聞きつけて、近所の者が駈け付けてみると、お咲は気を失って倒れていた。彼女の島田の髷はむごたらしくかきむしられていた。膝がしらを少
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