源次に別れて、半七は御成道《おなりみち》の大通りへ一旦出て行ったが、また何か思いついて、急に引っ返して広徳寺前へ足をむけた。土用が明けてまだ間もない秋の朝日はきらきらと大溝《おおどぶ》の水に映って、大きい麦藁とんぼが半七の鼻さきを掠《かす》めて低い練塀のなかへ流れるようについと飛び込んだ。その練塀の寺が妙信寺であった。
 門をくぐると左側に花屋があった。盆前で参詣が多いとみえて、花屋の小さい店先には足も踏み立てられないほどに樒《しきみ》の葉が青く積まれてあった。
「もし、今日《こんにち》は」
 店口から声をかけると、樒に埋まっているようなお婆さんが屈《かが》んだ腰を伸ばして、眼をしょぼしょぼさせながら振り向いた。
「おや、いらっしゃい。御参詣でございますか。当年は残暑がきびしいので困ります」
「その樒を少し下さい。あの、踊りの師匠の歌女代さんのお墓はどこですね」
 要《い》りもしない花を買って、半七は歌女代の墓のありかを教えて貰った。そうして、その墓には始終お詣りがあるかと訊いた。
「そうでございますね。最初の頃はお弟子さんがちょいちょい見えましたけれど、この頃ではあんまり御参詣もな
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